<ダイヤネット>




「多摩88ヶ所巡り」と道草
第7回紀行

平成15年10月7日
目  次

   第7回 「多摩巡り の 記 録  辻    巌
 第7回 「多摩巡り   紀 行」  辻    巌
 道草 “金木犀の薫る武蔵野”  権藤 卓也
 随想「第7回多摩巡りに想う」  細田利三郎
 コラム 「 屋 根 の 鑑 賞」  花牟禮 通





第7回多摩巡りアルバム明細
納経(御朱印)帳付き

 道草「鈴木 稲 荷 神 社」  32番「鈴木山 宝寿院」
 道草「ガス・ミュージアム」  番外「 海  岸  寺 」
 道草「東京 たてもの 園」  33番「田無山 総持寺」
 道草「 東 大  農  場 」  34番「慈光山 宝樹院」
 35番「光明山 如意輪寺」  36番「金輪山 寶晃院」
 37番「宝塔山 多 聞 寺」  道草「 竹 林 公 園 」






第7回多摩巡りの記録

辻    巌

 
日  時:平成15年10月7日(火)

天  候:曇り(無風) 最高気温19.9℃ 最低気温14.7℃

参加者:(敬称略、順不同) 当番幹事:辻 巖・花牟禮 通 

  青野淳美、阿南恵三郎、安部 孝、飯沼富夫、井出昭一、井上親朋、巖 隆吉、榎本
 奎介、大島政美、太田喜代子、小田嘉一郎、児玉俊男、小山義則、近藤達男、 権藤
 卓也、斉田旭男、助川 泉、高嶋順司、辻  巖、東田紀一、花牟禮 通、 深澤龍一、
 藤井俊男、細田利三郎、松岡 明、松沢寿俊、松本喜一  以上 27名

集 合:西武多摩湖線 一橋学園駅北口改札出口前広場

  集合:西武多摩湖線 一橋学園駅北口 まんじゅしゃげ(きり絵)

行    程

09:00
 一橋学園駅前
 徒歩 約1.7Km
09:26
 鈴木稲荷神社
09:28  第32番「鈴木山宝寿院」
09:40  バス停「官舎前」乗車 ( 立川バス)@190.-
10:05  バス停「昭和病院」下車  徒歩 約1.6Km
10:30
 「ガスミュージアム」
10:55
 「ガスミュージアム」
11:05  バス停「ガスミュージアム入口」
 (西武バス)@210.-
11:25  バス停「小金井橋」下車  徒歩 約0.2Km
11:28 
 「行幸の松」→「海岸寺」
11:40   「海岸寺」  徒歩 約0.9Km
11:50   小金井公園「江戸東京たてもの園」
 昼食(入園料@320.-)
12:45  小金井公園「江戸東京たてもの園」  徒歩 約2.0Km
13:20  西武新宿線「花小金井」駅
 @140.-
13:23  西武新宿線「田無」駅  徒歩 約0.4Km
13:30 
 第33番「田無山 総持寺」
 徒歩 約0.5Km
13:38  第33番「田無山 総持寺」
13:48   「東大農場」 
 峯先生の説明、集合写真
14:20  「東大農場」   徒歩 約1.5Km
14:40 
 第34番「慈光山 宝樹院」
 集合写真
14:50   第34番「慈光山 宝樹院」  徒歩 約0.2Km
14:55 
 第35番「光明山 如意輪寺」
15:00  第35番「光明山 如意輪寺」  徒歩 約0.3Km
15:05  第36番「金輪山 宝晃院 
15:15
 第36番「金輪山 宝晃院」
 徒歩 約0.7Km
15:30  バス停「谷戸小学校」
 (西武バス) @190.-
15:37   バス停「ひばりが丘駅」
15:45  西武池袋線「ひばりが丘」駅
 @140.-
15:47  西武新宿線「東久留米」駅   徒歩 約1.2Km
16:15  第37番「宝塔山 多聞寺」 
 住職のお話
16:40  第37番「宝塔山 多聞寺」   徒歩 約0.7Km
16:50 
 「竹林公園」
17:00  「竹林公園」   徒歩 約0.7Km
17:10  「鮮の庄」
 (懇親会打上げ会場)
19:00
 散 会






第7回 「多摩巡り紀行」

 辻    巖


  第7回多摩めぐりは小平・小金井・西東京・東久留米4市にまたがり、西武多摩湖線以
東約7Km、西武新宿線・池袋線沿線南北約5Kmの地域にある霊場6ヶ寺、道草5ヶ所を
訪れた。
 
 当日は前日の雨は上がったものの曇天。朝は肌寒い感じで、平均より2度ほど低い気
温。これが長丁場を乗り切るのに、大きな後押しをしてくれることになる。

 行程は、道草を多く織り込み、極めてハードなスケジュールを組んだため、西武多摩湖
「一橋学園駅」を定刻(9:00)全員揃って出発した。
 
 駅から住宅街を25分程歩き、うっそうとした木々に囲まれた鈴木稲荷神社を横切り第3
2番霊場「鈴木山宝寿院」に到着。

  住職のご母堂がお手入の 宝寿院境内
 本日の参加者27名が本堂前の敷地に集まると、埋め尽くしてしまいそうな小ぶりなお寺だが、古びた寺域ながら住職のご母堂が始終草花のお手入れを絶やさない清楚な佇まいの処であった。

 本堂の扉を開けていただき、お堂の外から詣でる。今日の納経係は、うち二人が当番幹事を務めている関係でお忙しい。
 
 寺の前の道路は狭いが自動車の通行の激しいところ。
 
 寺脇のバス停に長く横一列に並んで、バスを待つ。 我がグループが乗り込むと空いて
いたバスも満員。

 途中渋滞に遭い、漸くバスを降りて梅園、畑を抜ける。長く伸びた縦隊は個々に談笑を
しながら歩くこと20分余、J‐1サッカーFC東京のグランドを過ぎ、新青梅街道の交差点
際にある「ガスミュージアム(東京ガス資料館)に到着。
 
 自動車の往来の激しい道路から一歩入れば、ここは手入れの良いガーデン。

 ガス灯が立ち、明治期に建造され、長く事業所として供用されていた典雅な2棟のレンガ造りの博物館。

 ここは榎本氏のご推奨で加えたポイントで、ファッション誌のバックにも使われることがあるところ。

 左手の「ガス灯館」で、他のグループと一緒にガス灯点灯の実演を見る幸運に恵まれ
た。普段の見学ではなかなかお目にかかれないこと。これだけで予定時間の殆どを費や
し、未練を残しながら「さようなら」。

 ここからも移動はバス。今日の行程は、バス・電車を多用する計画を立てているが、難
所の西武線踏切もスムーズに乗り切り、玉川上水の桜並木の拠点「小金井橋」で下車。
 
        小金井公園の桜の園
 小金井一帯は東京西郊では名の知れた桜の名所。
 現在は小金井公園の桜が有名だが、その昔は玉川上水堤の両側に植えられた桜並木がその名を知られた存在であったらしい。

 玉川上水が開削されて約80年後、このあたり東西6Kmに亘り大和吉野・常陸の桜を2千数百本植えたのが小金井桜の始まり。

 爾来260年13代将軍家定が世子の時に観桜するなど関東随一の名を得、明治天皇
   
 の観桜行幸を記念した松が1本、上水脇に高く立っている。

 ひっきりなしに車が往来する道路を隔てて「海岸寺」があり、門前の木陰に「小金井桜樹
碑」が控え目に建つていた。今から190年程前に建てられたものだが、当時このあたりの
桜の景観が「武蔵八景」の一とされていたと記されている。昭和期、戦争をはさんで桜も浮
沈を繰り返したが、1993年の調査では桜並木は1134本にまで回復している。
 
 車の通行の隙間を狙ってメンバーは無事道路を横断。

 山門横の黒板に高僧の辞が白書されている。先般下見の折に「死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちによき人となれ 一休」とあり、気に入ってパソコンの壁紙にしている。

 「海岸寺」の庭の主役、見上げる赤松はおおらかに枝ぶりを整え、僧にすがる小僧の石像は珍しく、可愛らしい容姿であった。

 お庭拝見もそこそこに、裏道を抜け小金井街道を渡り、
 
 都立公園中ではその広大さを誇り、園内には2千本の桜木を擁する小金井公園の中を
一路「江戸東京たてもの園」を目指す。勿論、桜花爛漫の情景はこの時期には見ることは
叶わない。

 一行27名のうち23名は高齢者割引(65歳以上)の対象者。当番幹事がお願いした滞
在時間は、昼食を含めて1時間弱。行程の前後の関係でやむを得ないとはいえ、これだけ
の施設見学にかける時間としては余りに少く、計画者としてメンバーの皆様には申し訳な
いとの思い多々あり。乞うご寛恕。
 
 取るも取敢えずという訳で、高橋是清邸1階座敷、店蔵型休憩棟2階うどん店や園内の
ベンチで慌しく食事。持参のラッキョウ、フルーツ、チョコレートなどが振舞われる。長く続
いている「めぐり」の間にいつしか定着して、今では毎回頂けるものと決め込んでいる方々
も少なからず居られる。
 
 武蔵郷土館と呼ばれた時期を経て、平成になり「江戸東京たてもの園」と改組されて、施設は逐次充実されてきている。メンバーの成長と一緒に時間を刻んだ建物が沢山ある。
 ビジターセンターの構えに紀元2600年の記憶を重ね、居酒屋の品代に高い、安いと自分の体験・思い出をはめ込み、庶民の施設であったにしては不釣合いともいえる格調高い建物の銭湯の結構と内部の様子に往時を偲ぶ光景が見られた。

 東田さんはご都合あり、ここでお別れ。
 小金井公園から西武新宿線「花小金井駅」へは、小金井カントリー・インコースをかす
め、程なく多摩湖自転車道路の桜並木に入り25分位歩く。

 今回の小金井エリアは玉川上水堤・小金井公園・自転車道と桜・さくら・サクラ。今、目に
するのはその樹木と濃い葉陰のみ。

 「花小金井駅」から1駅、「田無駅」で下車。駅からは指呼の間、街中に第33番霊場「田無山総持寺」がある。

 32番・33番霊場とも、山号が今の町名に通じているのは面白い符合。それぞれ古い歴史を今に繋げた地域なのであろう参道、山門、本堂とも立派。

 事前に知らされていたが、当日は本堂で葬儀が行われ、到着時は後始末の最中のため参拝は叶わず。 

寺域にある妙見堂にお参りし、別称ともされる「ケヤキ」の大樹を仰ぎこれを写真に収め
る角度を決めるのに思案し、次なる道草ポイントへ移動する。

 東大農場は総持寺から5分の距離にある。東大農場は正式には「東京大学大学院農学
生命科学研究科付属農場」といい、所在地表示は西東京市泉町1丁目1番1号。到着が
計画より15分程遅れていたが、今日ご案内・ご説明をお願いした峯先生が入口でお待ち
戴いていたのにはいたく恐縮した。
 
 入口から本館事務所まで5分はかかる程広大な22Haもの農場を30分位でご案内願おうというのは土台無謀な話。

 施設園芸に焦点を絞り、主として温室栽培について説明をお願いした。メロンの砂地栽培、土壌の減菌培地等興味深い話。
 
 ハウスのビニールシートに関連して、紫外線を遮るとナスは紺色の艶の発色が悪くなり、蜂は体内リズムに変調を来たすことなども勉強した。
 
 田無にはもう「田」が無い。とはいえ、此処では色づきかけた稲が見られた。今年は冷夏
の影響で実の入り方が遅れているそうだったが、今度の土曜日は小学生を対象とした稲
刈り・脱穀等収穫祭の催しがあるとのこと。
 
 広く静かな農場は素人から見れば単なる田園風景としか見えなかったものが、先生の説明を聞くと各圃場の光景がそれぞれ精彩を帯びてくる。

 場内は作業をする職員、散策する人々、キャンバスを前にする人などが点在して、

 直ぐ外に広がる街の喧騒を忘れさせてくれる。

 奥にあるポプラ並木は北海道大学のそれより並木らしさで勝る。

 並木を背景に先生を囲んで集合写真を撮る。

 明眸皓歯の先生とは此処でお別れ。

  東大農場を出て約20分、住宅街の只中にある第34番霊場「慈光山宝樹院」に着い
た。住職はお留守。ご母堂が2階の本堂を開けて下さりお参りした。

 賽銭函は階段中ほどの炉台に取付けられていた。ご本尊は病苦を癒し、苦悩を除くとさ
れる薬師如来。眼病平癒祈願成就の折の奉納額をお見せ頂いた。

 古銭を左右対照に「め」の字に打ち付けた額板の黒ずみ、銅銭の変色に時代を感じる。
 今や白内障等は短時間の手術で治療が行われる時代。

 医学の進歩は信仰を薄れさせる大きな原因の一つであろう。

 「恐れ」を無くしてゆく現代人ではあるが、「敬虔さ」は無くさないでおきたいものだと念じる。本堂前の石段で集合写真を撮る。
 
 第34番からの3霊場はほんの数百bの間に所在しており、順打ちに回る。直ぐ近く数
分のところに保谷志木線道路に面して、第35番霊場「光明山如意輪寺」がある。
 
 青銅の金剛力士像がにらむ朱塗りの山門、大きな構えの本堂は荘重さを感じさるせる。
 本堂参拝は般若心経を唱え得る方々たるべし、とのことでもあり、本堂右手にある観音堂に参拝した。
 
 此処は「武蔵野めぐり」の札所でもあり、メンバーの中にもその折に詣でた方々が居られた。境内は広く、梅の木立ち、松の佇まい、石塔等々静謐な構え。

 
 第36番霊場「金輪山宝晃院」も如意輪寺から数分の距離にある。敷地は大きくはないが、手入れが行き届き寺域が綺麗に保たれたお寺であった。
 
 本堂前面はガラス張りで、外からお参りする。
 六地蔵の中央には延命地蔵が鎮座。地蔵・宝掌・宝処・宝印手・持地・堅固慧の諸菩薩はそれぞれ一道を導き、延命地蔵は一体で六道を導かれるそうな。

 ここからバス停までは10分。依然住宅地の中を行く。今回は、前回と異なりお寺の住職
のお説法に接する機会に恵まれず、ために遅れ気味のスケジュールも漸く遅れを取り戻
した。バスで西武池袋線「ひばりが丘」駅まで乗り、更に電車で一駅、「東久留米駅」で下
車。
 今日は終日曇り空。雲は次第に暗さを増してきたものの、天気はどうやらもちそうな感
じ。変化に乏しく結構疲れる道のりであっが、暑くなく、寒くもないお天気のおかげで、余計
な消耗もせずに済みそうだ。
 
 駅を出たところにある打上げ場所を説明して、最終コースへ出発。駅から落合川に出る
まで5分、鴨が群れて騒がしい動きをするのを横目に見ながら川に沿って歩くこと10分、
今日最後の霊場第37番「日塔山多聞寺」に着く。

 山門は時代を感じさせる造りで精緻で重厚。
 本堂は端厳な構えである。当寺の六地蔵尊は宝晃院とは聊か尊名が異なっており、その数の多さを実感する。

 「遅くなれば、他出して居ない」、との前もってのお話であったが、幸いにも住職はお出かけ前で、本堂に招じられた。

 今日最後の参詣寺で漸くお話を聞く機会に恵まれて、安堵した。これから会合があるとかで、背広、ネクタイ姿でお出ましになった。
 
 ご住職はわれわれの平均年齢とほぼ同じ68歳。お腰の具合が今ひとつと言われたが、
お元気な口調。当寺の来歴、ご当地の歴史の一端をご披露頂いたが、法話を伺うという
よりは身内同士のお話し合いという感じで、くつろいだ心地よい時間を過ごさせていただ
いた。
 当寺もご多分に漏れず火災の為に幾度か堂宇を消失しているが、その多くは無住の折
に行きずりの者が暖を取る時の火の不始末によるものだ、とも伺った。
 
 お寺を辞して、まだ聊か時間が残されていたので、メンバーの同意を得て当初計画から
は割愛していた「竹林公園」に立ち寄ることにした。落合川に沿ってもと来た道を戻り、老
松橋を渡ればまもなく左手に現れるのが東京100景に選ばれている竹ばかりの市管理施
設「竹林公園」である。

 10分も歩けば通り抜けてしまう程度の広さだが、随所にある「たけのこを取らないで下さい」との注意札が目に付くが、今は季節外。
 曇り空に夕刻が迫り、薄暮の公園内は足元を注意して歩かなければならない。公園の脇を流れる小川は湧水による静かな流れであった。
 
 公園を出ると、丁度5時を知らせる音楽放送が届いてきた。善い子はお家に帰りましょう。

 全員、無事に今日の行程を回り終えて、東久留米駅前の打上げ場所「鮮の庄」に向か
う。
 何方かの万歩計では27,000歩近くを記録するなど、思いの他に歩き回った一日であっ
た。いつも感じることだが、終盤に差しかかるに従い、疲労の影もものかわメンバーの歩
調が上がってくることに驚きを禁じえない。

 打上げでは、まずビールで乾杯。昼間の疲れはどこへやら、例によって談論風発。次第
に会話は高揚してくる。よく飲み、よく食べ、よくしゃべること約2時間、次回の行程を楽し
みに散会した。 

 今日の「札所詣で」は充分な参拝も出来ず、「道草」も時間の関係もあって、とても心ゆく
までとは言えないスケジュールで、欲求不満気味であった筈ですが、メンバーの皆さんに
は幹事を責めることも無く、寛いお気持ちでご協力いただきました。    
                                             多 謝







道 草 「金木犀の薫る武蔵野」

権 藤  卓 也


 少しひんやりとした朝、西武多摩湖線「一橋学園」駅を出発。空には羊雲よりはやや小さい
兎ぐらいの雲が群れをなしていてその隙間からは青空が覗いている。兎雲の群は大きな波
を作ってうねっているが、天気はこれからどうなるのだろうか。
 
 幹事さんが準備された詳細な地図を見ながら住宅街を通る。
 
 家々の庭にはそれぞれ金木犀が植えられていて今や満開。いい薫りの中を歩く。

 萩の紅い花も見られるが、槿(むくげ)もまだ花をつけている。アメリカ花水木はそろそろ紅葉がはじまって、緑の葉が赤黒くなってきている。丸く赤い実が美しい。
 
 
 鈴木稲荷神社の境内を通って宝寿院へ。狛犬ではなくお稲荷さんのお使い姫の狐が2
対、4匹ともみな金網の籠がかぶせられていたのは何故なのだろうか。逃げ出さないように
なのか、盗まれないようになのか。
 
 宝寿院には大きな山茶花があって、高さは5,6mもあろうか、丸く好い形に枝を広げて、
ピンクと白の絞りの花が今や満開。私の家の山茶花などはやっと蕾をつけはじめたばかり
だというのに、これはもうすばらしい見事な山茶花。この木の下にはお地蔵さんが佇んでお
られるのも好ましい。

      宝寿院の大きな山茶花               宝寿院の境内に咲いた花たち

 境内にはまたいろいろの草花が花を開いていて、鶏頭や、もう盛りを過ぎた彼岸花、驚い
たことにはセイタカアワダチソウの一群が美しく黄色の花をなびかせていた。山門をはさん
で山茶花の反対側にはカヤの木があって、カヤの実がいくつも落ちているのも珍しい。

 宝寿院の前からバスで昭和病院へ。この頃になると空は雲が厚くなって、青空は全く見え
なくなった。昭和病院からガスミュージアムまでの途中には、長い金木犀の生垣やよく手入
れの届いた広い梅林などがあって、武蔵野の畑道が楽しめる。       
 
   ミュージアムのガス灯像
 途中から新小金井街道になるが、もう紅葉がかなり色づき始めた花水木の並木が続いて美しい。

  ガスミュージアムは古風な赤レンガ造りの2棟の建物で、ガス灯の特別実演解説が珍しかった。

 現在使っているガスは天然ガスだろうから、昔の石炭ガスとは違って光が弱いのではないだろうか。
 
 再びバスを利用して小金井橋に到着。

 玉川上水の、昔から有名な小金井の桜堤は木の数も減って淋しくなっているが小金井橋から見下ろす上水はかなりの水量があって、よく太った白や赤の錦鯉が数多く泳いでいた。

  「行幸の松」から五日市街道を渡って海岸寺へ。幕命によって植えられた桜並木は江戸
時代から有数の桜の名所として知られていたが、その由来をつたえる小金井桜の碑が残さ
れている。小金井街道を渡って都立小金井公園へ。

 小金井公園はひろびろとして、思いっきり伸び伸びと育った樹木が適当に配置され、気持
ちのいいすばらしい公園である。桜の園エリアと宿根草園のエリアを通って江戸東京たても
の園に入る。
                                     たてもの入り口の金木犀
 たてもの園の入り口両側に大きな金木犀が1対、それこそ金色の花が満開。それぞれの木の下には、オレンジ色の小さな星が一面に落ちていてこれも素晴らしく美しい。

 たてもの園の構内に入る。ここでもそれぞれの木に名札がつけてあって、植物を覚えるのに便利である。

 「ゴンズイ」という木があって、赤い実が鈴生りになっている。
 
 5,6mほどの大きな木で、あまり見たことがなく珍しかった。

 高橋是清邸で昼食。明治の古いきちんとした屋敷

 で、昔は格式のある家はみなこのような家であった。廊下のガラス戸に使われている板ガ
ラスは明治時代のもので、平面性が悪く外の景色が歪んで見える。これも昭和のはじめ頃
まではこうだったなと懐かしかった。

       高橋是清邸(たてもの園内)
 
 是清邸の東側の一郭に武蔵野のハケというのがあり、ここでも涌き水が小さな流れをつくっていた。

 明るい雑木林に守られていて、武蔵野にはところどころにこのような涌き水があるのだろう。

 たてもの園を出て、周辺の濠沿いに「いこいの広場」「バードサンクチュアリ」の並木や林の中を抜けて、小金井公園通りから多摩湖自転車道を経由して花小金井駅へ。
 
 この間一部の住宅街を除いてずっと緑の道が続いてすがすがしい。残念なことには折角
バードサンクチュアリがあるのに鳥の姿は全く見えなかった。

 田無駅までは電車。賑やかな街中でここだけは静かな三十三番総持寺に詣でて、東大農
学部農場へ。広広とした実験圃場の先のほうに畜舎とサイロがあって、ポプラの並木が植え
られているのが珍しい。
 
 この風景をスケッチに来ている人たちが何人もいて、皆さん楽しんでいる様子だった。この
ポプラの周辺には鴉が十数羽、飛び回っては鳴いていたが、畜舎のあたりには餌が多いの
だろうか。ここの圃場は、持続的植物生産研究圃場で、一面のソバの花盛り。研究内容に
ついては聞き漏らしたが背丈の低いソバ畑に何か意味があるのだろう。
                                               
      総持寺・妙見堂とケヤキ         東大農場は一面ソバの花盛り 

 この頃になると、空は全体が厚い雲に覆われてしまって、朝の波型の雲が予告したような
天気になった。しかし、幸いにこの日は最後まで雨に降られることはなかった。
 
 農場を出て、住宅の間の細い道を曲がりくねりながらたどる。20分ほど歩いて三十四番
宝樹院。そのすぐ近くに三十五番如意輪寺。如意輪寺は武蔵野三十三観音の第四番札所
で、昨年3月にお参りしたことを覚えている。

多摩第34番慈光山宝樹院本堂
多摩第35番光明山如意輪寺本堂

 そのときは境内にカタクリの花が咲いていたことを思い出した。武蔵野の時と違って今回
は寺の裏のほうから回って参詣する。

 三十六番宝晃院へ向かう道で、如意輪寺の裏道には大きなヒイラギの木が何本も植えら
れていて、ちょうど白い花が満開。といってもヒイラギはモクセイの仲間で、その花もモクセイ
と同じように葉陰の枝の周りに白い厚手の4弁の花を族生するので、あまり目立たない。

 キンモクセイにくらべると甘い香りがする。ヒイラギの花に出会ったのは久しぶりであった。

 東久留米駅から三十七番多聞寺までの1.2kmの道の後半は落合川沿いの土手を辿
る。落合川は川幅20mぐらい、両岸はよく整備された草地や柳などの自然が残されていて

       落合川に遊ぶカルガモの群れ
気持ちの好い散歩道。ミゾソバの淡いピンクの花が満開で美しい。

 水の中には細長い葉を長く流れに任せた水草が一面にゆれており、十数羽のカルガモの群れが水面に浮かんでいる。

 土手上の道の両側はいろいろの草花や小さな花木が植栽されていて、なかでも紫式部のつやつやと光った紫色の実が美しい。

 毘沙門橋で川を離れるとすぐに多聞寺。
                                    
                                      多摩37番多聞寺の山門
 ここも昨年の武蔵野観音巡りの第五番のお寺で、このときは第四番如意輪寺からひばりが丘団地の中を抜けて南沢から多聞寺までの3.5kmの長い道を歩いた記憶がある。

 門の虹稜や木鼻に施された繊細な彫刻はあまり気に留めたことがなかったが、なかなか見事なもので、江戸末期の地方的建築技術の特徴がよくあらわれているということである。
 
 今回は、お寺の和尚さんのお話を聞き、また花牟礼さんからのご教示もあって、山門を注目した。  

 多聞寺から再び落合川を下って竹林公園へ

 途中、来るときにカルガモが群がっていた岸辺に、可愛い女の子がパン屑をちぎっては投げているのに出会った。

 カルガモもよく馴れていてすぐ足元まで近寄って餌をねだっているのが微笑ましい。 

 竹林公園はもう薄暗くなってきていた。よく育った孟宗竹のびっしりと茂った大きな竹林
が、一山全体を覆い尽くしている見事な公園である。その中を細い道が昇り降り巡り巡って
鑑賞するようになっている。下のほうに降りると、ここにも涌き水があって、かなりの水量の
小川をつくっていた。

 このような竹林の維持管理は随分たいへんなのだろうと思う。「筍を取らないで」という立て
札がたくさん立ててあったが、竹林から外へ広がって逃げ出して行く筍の管理も難しいので
はないだろうか。
   
 
 今回の札所巡りは、キンモクセイの花の香
 りに包まれたすてきな旅であった。

 幹事さん、本当にありがとうございました。

           /GND/

 







随 想 「第7回多摩巡りに想う」

細田 利三郎


T はじめに

@ 総合幹事の榎本・青野さん、当番幹事の辻・小山・花牟礼さん、納経帳の藤井さん、い
つも写真を送って下さる助川・青野さんなど多くの関係者のご苦労に対して心からお礼を申
し上げます。

 皆さん方のお力により、いつまでも記憶に残る楽しいひとときが持てました。有り難うござ
いました
 
 今回、特に感心致しましたことは、辻さんの用意周到な準備やご案内に対するものであり
ます。痒いところにこれほどの手を貸してくださるとは、ただただ感激、頭が下がる思いであ
ります。

 A 今回の巡拝に際し、青野さんから、随想を書くようにとのお申し付けをいただきました。

 記事に対しての思い入れは、コラムとか、トピックスとか、各人の認識によって異なりますし、あまり枠組みを固めてしまうと筆が進まなくなる恐れもありますが、それらの主旨については、辞書を引いて統一を図るようにとのご指示でありました。
 
 分担する「随想」を、岩波「広辞苑」で確かめたところ、「思いつくまま」「感じるまま」「あり
ふれて感じたこと」と、出て参りましたので、これなら気が楽、勝手放題でも許されそうと、そ
れこそ勝手に決めて気ままに記した次第です。

U 今回の巡行で今までと異なるところ

@ 電車・バスを多用し、思いの外の広範囲を、効率的に移動出来たことだと思います。こ
れにより、道草は、各種・各様のものが多数取り入れられ、従来にも増してこの部分の値打
ちが大きくなったと感じるものです。
                                   宝樹院の大きな山茶花の花
 地理的には、平坦地の巡拝で、歩行距離の長
さ(約15キロ)の割には疲労が少なかったこと、
 公園・緑地など随所に見られた武蔵野の雑木
林は、目の保養に十分だったとの思いもありま

A お寺の住職の説話は、今回は、最後の巡拝
である第37番札所・多聞寺だけでありました。

 坊さんの説教は、普段はなかなか聞けないも
のですし、聞ける場合には、なるほどとの合点
や、示唆に富んだものが多いのでありますが、

 のべつ聞かされると飽きても来ますので、たまには今回のように1カ所でも良かったのだ
と思いました。

V お値打ちだった道草

 私が特にお買い得と感じているものは次のいくつかであります。辻さん・青野さん(データ
ライブラリー)の紀行文にもありますので、重複しないところだけ記しました。

@ ガス資料館 

▽ ガス灯・3種類に火を付けて見せてくれました。最初のものは炎の色が赤黄色の裸火で
す。4炎が縦横に吹きだして、魚尾灯=Fishtailと呼ばれるとか、いかにも昔のガス灯の趣
がありました。2灯目は、木綿の袋の中に入れたガスマントルを燃やすもので、緑白色に輝

き、最近の車のヘッドライトのようにまぶしく見えました。裸火の5倍のルックスとの説明でしたが、同じようにガスを燃やしても、このような大きな差が出るのは不思議だと感じました。  
 3灯目のガス灯は、菊紋様の16花弁の大きなものでした。イルミネ―ションの先がけになったようで、同じものが今も横浜馬車道で輝いているそうです。

▽ ガス灯と言えば、子供の頃が浮かんで来ます。
 
  
 お祭りの行列の中を、絣の着物を着てそぞろ歩いているところです。夜店の屋台の、イカ
の姿焼きや金魚すくいと共にアセチレンガスを思い出します。ガスの匂いがきつく、いつま
でもそばにいられませんでした。

▽ 高島嘉右衛門と言う人が日本のガス誕生を支えた人だと言われます。

 渋沢栄一などと並んで実業界で活躍、この人の名にちなんで横浜の高島駅(東横線)が出来たり、高島易断が創設されたりと、明治の大立て者でした。メンバーの高嶋さんはこの御方の遠縁だとか、この場所での高嶋さんは神妙で、日頃のだじゃれもありませんでした。

▽ 今回、駆け足の道草となりましたので、くらし館が見られなくて残念でした。晩秋の頃、外周道路から眺める2棟の煉瓦建物は、紅葉に栄えて一段と美しいものだろうと思えます。そのころ是非再訪したいとの想いであります。

A 東大農場  

▽ 広大な農場の中に、北大のポプラ並木をまねた一角があり、その昔そこを訪ねた思い
出が蘇りました。大木の並木も、広い敷地の中でこそ存在感があるようです。そこまでの道
中で、色付いたハナミズキが赤い実を付けて並んでいるところ、それを背中に写生をしてい
る人たち、付近には「そば」の花盛りなどあり、これらは、ここが大都会だと言うことを忘れさ
せてくれる風景でした。

▽ つい先日のテレビで、子供の学校の登下校に際し、カーナビを利用して彼らの居場所を確かめていたり、年輩者がボランティアで家まで付き添ったり、

 といった映像を映していました。安全のためにこれらが必要なのだといいます。驚きです。

 今の子供たちは、学校からの道草・寄り道もままならず、何をしているかまで衛星で押さえられているという不幸、かつて田圃の中を走りまくり、トンボや蝉

や蛙などを追いかけたり、暗くなるまで三角ベース野球に遊びこけた、我々の時代とは月と
スッポン、せめて、このような原っぱで、思い切り駆け回って欲しいと感じるのは私だけでは
ないと思います。
▽ 美人の峯先生の説明は、講義を聴講すると言うより、その姿・形に見惚れている感じがありました。

 施設園芸などという先生の担当分野が、どんな括りになっているのか分からないまま温室を覗き、紫外線の力がいかに多方面に影響するのかを教えられました。

 茄子が紫色になったり、ばらやミツバチの繁殖に力があるなど、実物を見ながらの説明には説得力がありました。


 

▽ 子供たちについて当てはめてこれを考えますと、あまり保護が行き過ぎると、フィルムで
覆われた温室の中で純粋培養されて育ったバラや、紫外線をシャットアウトされた茄子のよ
うに、どこかが片輪にならないかと心配するものです。皆で大声を上げ、大騒ぎして遊べな
い今の子供たちは可哀想だと思います。

▽ 南北1キロ、22haの広大な農場を眺め
ていると、今の時代に土いじりや、農作物を
育て、結果として収穫物が取り込める農業
は一番羨ましい仕事(商売としてとの意味よ
り、生きがいとして)だと思いました。

 余計な気遣いは必要なく、ストレスも少な
く、観天望気で気の向くままに働けるしあわ
せは、ほかの仕事では味わえないものでは
ないでしょうか。
 
 戦後の地位は、必ずしも高いものでなかった百姓と言う仕事は、現在は士農工商から市
民平等になった明治維新ほどの大転換を迎えていて、元へ還ったのだと感じました。

B 小金井公園

▽ 見事な桜の大木1134本を含め、四季折々の花卉が園内を飾っているそうで、桜の時
期には約2000本の各種(ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラ)桜が咲き誇り、桜の名所と
して大賑わいになるそうです。
 このぐりるを巡回すれば、都内には樹木や公園が少ないと言われることが如何に認識不
足であるかを痛感させてくれます。

▽ 園内の江戸東京たてもの園には、

 昔懐かしい復元建物(風呂や・居酒屋・仕立屋・醤油や・文具店などの商売家や高橋是清邸・田園調布の家など)、

 廃車となった都電などが飾られ、懐かしさで胸がいっぱいになりました。

C 東久留米の竹林公園

▽ 予定では、時間がないから割愛するということでしたが、スケジュールに復元されて、お
値打ちの一つとなりました。夕闇迫る頃の、落合川沿いの小径では、鴨の群れ・川の中の
浮き草を眺めながら、夕焼け小やけを歌う子供たちの歌声も聞こえて、誠に風趣に飛んだ
昔ながらの風景を楽しむことが出来ました。

 鴨長明「方丈記」の一節に「古京はすでに荒れて、新都はいまだにならず。

 ありとしある人は、皆浮き雲の思いをなせり」

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という詩があります。

 気障ですが、落合川の浮き草と浮き雲を対比する光景として心に浮かんできました。

W 終わりに

 ここに記しますことは私事であり、多摩巡りとは関係無いと考えておりましたが、このお遍
路がダイヤネットの活動行事であり、フォーラムのテーマである、「健康」や「パソコン技術」
にも絡んで、フィットしていると勝手に解釈するにいたり、あえて載せさせていただきました。
ご了承を願うものです。

@ 自分への金メダル(健康に因んで)

▽ 1996年、アトランタ・オリンピックで銅メダルを獲得した有森裕子選手。その感動のゴ
ールと共に忘れられないのが、「自分で自分を褒めてあげたい」というコメントでした。それ
にしても、この言葉は多くの人たちの胸にズシンと響いたと感じます。

 そして、人間の体力は底知れぬものとも思いました。僭越・ぶしつけながら、ここにお名前
を記載させていただいた方々は、加齢を華麗に、毎日を生き生きと過ごしておいでです。

 巌、井上、松本の皆さんは、とうに喜寿を迎えられているとお聞きしましたし、
 飯沼さんは、巡拝の前の2〜3日を信州の志賀高原で、この行事の翌々日は順礼峠のハイキングと、休む間もないハードスケジュールを平然とこなされ、
 深澤さんは日本アルプスの縦走(その記事がフォーラムの旅の記録にある)をなされるなど、
 見習いたいもの、同じように活躍したいものと、有森裕子さんになぞらえて感動致しておりました。
 
▽ 私事ですが、9月の巡拝から戻って間もなく、腰痛に見舞われ、一時、立ち上がること
も覚束ない思いを致しました。整形外科の先生に、カルシュームが不足している、椎間板が
摩耗している、骨密度は同年齢の人に比して68%である、これは骨粗鬆症だ、と診断さ
れ、ゴルフは当分禁止、歩行も1万歩が限度だと言いわたされました。

 1ヶ月以上のリハビリをこなし、今回の巡拝には、おっかなびっくりで参加させていただき
ました。せっかく多摩巡りの初回から参加させていただいたのだから、皆勤したいとの思い
が強く、私の気分の中には、前記の先輩方の生き様や、ロンドンの硝子箱(朝日新聞記事:
割愛)が後押しをして、くじけずに歩くことをモットーとしました。
                                      36番宝晃院・弘法大師像
 お陰様で3万歩を歩き、完走できました。1日置いたDOSのハイキングも落後しないで回れました。

 改めて、人間の体力は捨てたものではないと感じ、自分を褒めたい、との有森さんの言葉を取り込みました。

A恐いもの知らずの無法者

▽ ダイヤネットフォーラムのパソコン技術欄に、「メールで同文8通が一度に届いた、本文は一つ、残り7通はどういうわけか同じもの」と言うものや
 
 「スナップ写真を添付したというメールを受信したが同じものが何通も届いた(ただし画像の添付がない、或いは画像添付は1枚だけだった)」というような投稿に何度か出会った。 何を隠そう、この張本人は私なのであります。
 
 
 パソコンを始めて間もない未熟者(恐い物知らずの無法者)が、少しでも先輩方に近づこうとして、アイコンやキーを滅茶苦茶に叩いた結果であります。
 
 ご関係の諸先輩には大変ご迷惑をおかけしましたが、お蔭様で多くのアドバイスやご指導をいただく結果も招き、私にとって貴重な体験となりました。

 そして、これらの根っこは、正に多摩巡りで多くの方々と知り合い、多くのことを学ばせていただいた賜と、感謝申し上げる次第であります。

 最後に、辻さんが紀行文に取り上げた、一休禅師の言葉「死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちによき人となれ」を、お遍路で得た銘と致します。     
                         以 上
 









コラム“屋 根 の 鑑 賞” 花牟禮 通


 神社と寺院は日本人の精神生活上欠くことのできない存在である。

 巡拝の目的は、純粋な信仰心からのもの、単に自身の生活上万般な欲望を満たすためのも
の、人夫々であろうが、私の場合は後者の方に属しているようである。

    参考:伊勢神宮(内宮)
 私の巡拝の楽しみは、お参りは当然の事乍ら、先祖が残してくれた、優れた建築の文化遺産に接する機会が数多く得られる事にあります。

 因みに現在の寺社数は、全日本仏教会に属する102宗派・団体は75000寺、神社は法人単立を含む81000社といわれている。
                                                多摩第3番井口院
 初めて訪ねる人里離れたお寺を、地図頼りで探すのは中々大変であるが、寺社ともに広大な領域を有しており、そこには通常大樹が茂り一つの杜が形成されている。

 これらの杜を頼りに進むと、堂塔や急勾配の屋根が青空に浮かび出たさまを樹間に望見できるようになる。到着間もなし。

 今回は、この「屋根」にスポットを当て鑑賞のポイントを述べてみたいと思います。次回の巡拝
時に屋根鑑賞の参考になれば幸いである。
   
     多摩第5番大正寺    
屋 根 

 日本の木造建築について屋根は特に重要で、いかに雨漏れを防ぐかが建物の寿命を左右する事になるばかりでなく、

 寺社の尊厳と権威を誇示するための意匠にも大きな影響を与えている。
                                               多摩第7番威光寺 
形 式
 
 日本における原初的な住まいの建築様式を天地根元造というが、これは二本の垂木を交差して組んだものを両端に置き、その交差したところに棟木を載せ渡した簡単な造りである。

 この場合、垂木の棟木に接したところから上は、屋根よりも高くそびえることになる。
  
     多摩第11番慶性寺
 この突き出た部分を千木(ちぎ)と呼ぶ。

 延喜式の祝詞(のりと)では「下つ岩根に宮柱太知り立て、高天原に千木(ちぎ)高知りて」とある。

 この千木があればまさしく神社なのである。
                                              第17番真照寺・観音堂 
 現代の殆どの屋根形式は入母屋造り、寄せ棟造り、宝形造りが普通である。

 神社本殿の形式である流れ造・春日造・日吉造は、平面形式からうみだされた特有の屋根形式をもさしている。 

 屋根勾配は急なほうが雨の始末は良いが、あまり屋根が大きいと、トップヘビーとなって耐震上不利になる
    多摩第19番最照寺 
葺き材

 本瓦葺き : 中国伝来のもので、平瓦と丸瓦を別々に葺く。
 桟瓦葺き : 本瓦葺きの軽量化、簡便化を図ったもので、江戸時代に考案された。平瓦と丸瓦を一つにして重なりも少なくしている。
                                               多摩第25番宝性院
 使用瓦の種類をあげると、

 桟瓦、平瓦、丸瓦、軒瓦、袖瓦、角瓦、隅瓦、掛瓦、巴瓦、 棟瓦、棟止瓦、曲瓦、熨斗 瓦、面戸瓦、甍瓦、谷瓦、窓  瓦、塀瓦… etc
 
 大体一つの屋根で10数余種類の瓦が使われている。
     多摩第29番国分寺 
鑑賞のポイントは、鬼瓦の紋様や軒先の唐草瓦に寺紋または神紋等多数見られます。

 神紋では三巴が圧倒的に多く、皇室は菊の紋である。

 又、鬼瓦と同様に鯱(しゃち)やし尾(しび)獅子口など芸術性の高いデザインのものが多く見られる。神社などで鬼瓦に直接千木を模した一体物の瓦を使用した物もある。
                                                  番外「海岸寺山門」
茅葺き :は日本古来のもので、伊勢神宮ではいまも続けられている。
 
 桧皮葺き(ひわだぶき) :神社に使われることが多い桧皮葺は、長さ60cm前後の檜の皮を1.5cm前後の葺き足で重ね、竹釘で止める。

 こけら葺き :長さ30〜40cm、厚さ0.45cm前後の槇または杉の手割材を葺き足3cm前後に重ね、竹釘止め
    多摩第35番如意輪寺
 銅瓦葺き :江戸時代の霊廟建築寺社建築にみられるもので、木造で本瓦形の下地を造り、厚手の銅板で一枚ずつ造た平瓦と丸瓦を葺いている。

破 風(はふ)

 切妻造(きりつまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の妻側の破風は、普通二枚の反った板を山形に合わせて造る。

                                              多摩第37番多聞寺山門
 唐破風 :は陣笠形をした破風で、棟門など切妻造の妻のほか、軒先の一部にも使われている。直破風そり破風、むくり破風などがある

懸 魚(げぎよ) 破風の下に付ける飾りで拝懸魚や降懸魚がある。 懸魚の彫刻紋様は魚だけでなくて鳥や龍などバラエティーに富んでいる。 
     番外「豊鹿島神社」
文化財保存のためにどんなことをしてきたか

 1300年前に建てられた世界最古の木造建築法隆寺の金堂・五重塔などをはじめ、日本には数多くの古い木造建築が残されている。

 これらの建築を維持し保存するためには、色々な手段がとられてきた。もちろん現代のように文化財として保存するのではなく、実用建築として長く使う為ではあったが、

                                               番外「正福寺・地蔵堂
 修理をして建物を長持ちさせることのほかに、最も確かな保存方法としては建物全体に覆屋を架けて風雨から守る事である。

 この工法は、第8回「多摩88ヶ所巡り」の道草で本殿,東京都有形文化財指定「豊鹿嶋神社」の覆い殿を開扉、

拝ませて頂たことは未だ記憶に新しい。
                           以 上
  



トップへ 戻る 次へ次へ