<ダイヤネット>




「多摩88ヶ所巡り」と道草
第8回紀行

平成15年11月4日

目  次

 第8回「多摩巡り記録と紀行」   小山  義則
 第8回  “ 紀   行   句 ”   金田  和友
 随 筆  「和 尚 と 神 主」   花牟禮  通
 コラム “ 道  草  礼  賛 ”   飯沼  富夫
 平成15年 多摩巡り 忘 年 会   高嶋  順司
 トピック “ 新  春  再  訪 ”   花牟禮  通




第8回多摩巡りアルバム明細
納経(御朱印)帳付き

  多摩40番「石澤山蓮華寺」   多摩41番「白部山慶性院」
 多摩42番「龍華山真福寺」   番 外 「 豊 鹿 嶋 神 社 」
  道草 “多摩湖〜狭山不動”   多摩39番「輪王山三光院」
  多摩33番「愛宕山圓乗院」   番 外 「 正福寺 地蔵堂 」
  番外“  徳   蔵   寺”





第8回「多摩88ヶ所巡り」の記録
                  
小山 義則

 
    開催日: 平成15年11月4日(火曜日)  天  候: 曇 北風稍々強
 
    集 合:多摩モノレール「上北台駅」 9:00 時


  参加者: (五十音順・敬称略) 
 
  阿南恵三郎、飯沼富夫、井出昭一、井上親朋、巌隆吉、榎本奎介、大島政美、
  太田喜代子、小田嘉一郎、金田和友、金田三千江、児玉俊男、小山義則、
  近藤達男、権藤卓也、斉田旭男、助川 泉、高嶋純司、高原清ニ、花牟礼通、
  深沢龍一、藤井俊男、細田利三松岡明、松沢寿俊、松本喜一  以上26名

  行 程 :

  「上北台」   09:00 集合  同 09:05 発  (徒歩1.Km )
  「第40番蓮寺」   09:20 着  同 09:30 発  (徒歩0.7Km)
  「第41番慶性院」   09:40 着  同 10:00 発  (徒歩1.8Km)
  「第42番真福寺」   10:30 着  同 10:45 発  (徒歩2.0Km)
  「豊鹿嶋神社」   11:05 着  同 11:30 発  (徒歩2.0Km)
  多摩湖堰堤経由  「西武球場駅」  同 12:00 着

     <昼食休憩と山口観音・狭山不動寺・西武ドーム等参拝見学>
  「西武球場駅」   13:00 集合   同 13:10 発
  「武蔵大和駅」
  13:24 着
  同 13:25 発  (徒歩2.0Km)
  「第39番三光院」   13:45 着   同 14:00 発  (徒歩2.1Km)
  「第38番圓院」   14:25 着   同 14:54 発  (バス停狭山)
  「バス停正福寺」
  15:05 着
  同 15:35 発  (徒歩1.5Km)
  「徳蔵寺 資館」   16:00 着
  同 16:30 発  (徒歩1.5Km)
   
  東村山駅前「花の舞」16:55着 打ち上げ懇親会 19:00 解散
        






第8回「多摩88ヶ所巡り」紀行
                            
小 山 義 則

 前夜までの雨で気掛かりであった天候も夜明けとともに雲は切れ、やや北風は強いが巡
拝には絶好の日和である。

 集合地の「上北台駅」は、都下立川市と東大和市を結ぶ「多摩モノレール」の東大和市側
の終着駅に当たり、立川からは北に向かうわけだが、途中、車窓西側には遠く丹沢山塊の
山並を望み、前方には「トトロの森」でも有名な狭山丘陵の緑を楽しむことができる。
 
 駅周辺のまだ整備の余地が残されている「上北台駅」を定刻5分過ぎに出発。


「第40番 石澤山蓮華寺」

      多摩第40番石澤山蓮華寺本堂
集合地から北へ、東京都を東西に走る幹線道路の新青梅街道を横断、畑の中に造られた新興住宅群の間を抜け芋窪街道へ出ると、その道筋に蓮華寺がある。

  昔は真福寺の末寺として現在多摩湖底 になっている村に在ったが、大正12年貯水池工事のため現在地に移転。

 若住職に迎えいれられた改築本堂内は、荘厳な祭壇とともに往時を偲ばせる大きな古びた絵馬の掲額が、当寺の歴史を物語
    

「第41番 白部山慶性院」

 最初に参拝した蓮華寺とは隣り合わせのような至近距離に在る。当寺も現在の多摩湖畔
から大正11年に移転し現在地にあるが、移転時に田舎屋風の大きな山門の置き場が無
く、今は多摩湖橋の北詰に移設してある。
  多摩第41番白部山慶性院内陣
その山門の大きさから推測するに、かなりの寺領を有していたのではないだろうか。

 明和2年造立開眼の本尊不動明王は、祭壇の古色蒼然とした中にあり、住職の訥々とした縁起談も何故か信仰心ある者への愛情を感じさせる

 山門入り口脇にある水天像は、彫像としては全国的にも例が少なく市の重要宝物に指定されている。

                                       
「第42番 龍華山真福寺」

 慶性院を出ると、この地区特有の未整備からくる狭い道を北へ進む。途中右手の畑には
珍らしくリンゴ畑や、この時期には遅いカボチャ?畑等を見ながら行くと突然狭山丘陵の麓
を走る青梅街道に出る。街道を横断し坂道をのぼれば丘陵の山上近くに町を見下ろす様
に南面した山門がある。

 第42番「真福寺」重層入母屋造りの山門(恵)
  重層入母屋造りの山門は階上に寛永15年
 作と言われる梵鐘があり、山門から本堂まで
 の参道の雰囲気はその歴史の古さを感じさ 
 せる。
 
  本堂は約230年前に再建されたと言われ 
 るが再三の火災でそれ以前の歴史は不明と
 されており、本堂内での参拝を希望したが住
 職の許可が出ず断念


                      <道草その1>

  真福寺を出て再び青梅街道へ戻り古い町並みを東へ行くこと約2Km、道草の一つ「豊鹿嶋神社」に到着。

 女性神主?の案内を受け、都下最も古いと言われる本殿が、その保存のために更に社殿で覆われていることに驚きながら、神社裏手から北へ一山越えると多摩湖畔に出る。


 多摩湖は偶々地震対策のための堤防補強
 工事中であり一部水抜きされ湖底が見ら 
 れたが、この湖底の何処かに移転させら 
 れた寺が在ったかと思うと感慨一入である
 
 多摩湖橋北詰には移転時代に取り残され
 た慶性院の田舎屋風山門がぽつりと建っ 
 ている。時間は昼時。

 湖畔から下って西武球場前で昼食旁々山
 口観音金乗院・狭山不動寺の参拝、西武ド
 ームの見学等で過ごす。


                  「第39番 輪王山三光院」

 西武球場前をあとに、長閑に感じる西武レオライナーと電車とを利用し大和武蔵駅へ。

                                多摩第39番輪王山三光院本堂へ
 駅から徒歩約2Km、この寺も現多摩湖底
になった場所から大正12年に現在地へ移
転、更に新青梅街道建設で寺領が両断され
山門は道路北側沿いに造られ境内も狭くな
っている。  

 本堂で住職から寺暦を拝聴、当寺に伝わ
る徳川氏のご朱印状のうち「家康」と「吉宗」
の花押入りを拝観。ただし実物は公開せず
コピーであった。
 
 境内の観音堂脇には約700年前の板碑が
祀られ歴史の古さが思われた。


「第38番 愛宕山圓乗院」

      多摩 第38番 愛宕山圓乗院 
  三光院前の新青梅街道から北へ、狭山丘陵の西側付近を水源とした空堀川を遡るように狭い沿道を経て丘陵の略々東端方向へ進むと、中腹に鐘楼門が見えて来る。

  寛永2年建立と言われる鐘楼門は本堂が近年改築されたとは言え当寺の歴史の重さを感じさせる。

  また、境内には一際高い銘木「無患樹」が江戸時代からのものと言われ、歴史を物語るとともに夏の風物詩ともなっている。

     
                     <道草その2>

 かくて本日予定の古寺巡拝は終わったが、釣瓶落しの晩秋の太陽と、変わり易い空模様
を気にしながら次の道草、国宝「正福寺地蔵堂」見学と、徳蔵寺板碑資料館見学の為、バ
スで移動。
          国宝「正福寺地蔵堂」                  徳蔵寺資料館の板碑

 国宝見学中ポツリと雨の兆しがあったが左程でも無くその建築様式に感心し、漸く明るい
内に見学を終え、徳蔵寺資料館に着いた頃は早や夕景。

 同寺の裏からの景観に驚き、資料館では板碑により元弘年間の鎌倉攻めを偲び、愈々
夕暮れのなかを東村山駅前の本日最終予定宴会場所「花の舞」に着いたきには、日は既
にとっぷりと闇の中であった。
 以 上






第8回多摩巡り紀行句

金 田  和 友


 鶏頭と 葉牡丹の前に 勢ぞろい

 
 賑々しく トトロの森へ 出発進行



  兵(つわもの)と ふたりの姫が 古寺巡り

     
  愛染院 なぜか本尊 不動尊

  
  蓮華寺は ダムのお蔭で リニューアル

   
  白山社と いまもご一緒 慶性院

  
  山門を 移す銭ない 貧の寺


  水天像 盛衰見つめて 数百年
住職は へそ曲がりならむ 顔見せず


鐘楼と 山門語る 寺の格


大富豪と お見受けしました 龍華山

  今もなお 室町神殿 多摩湖畔

  
  神殿を 予期せぬ美女か゛
              案内(あない)する
 
  
  神職は 箒(芳紀とかけて)まさに 80歳 
         
  (高嶋さんの駄洒落)
 
陽はうらら 湖畔をてくてく 赤とんぼ
 
お握りを ほうばり語らう レオの庭

ちょっと待て ダツラ見事じゃ 撮影会

  朱印状 定家に劣らぬ 吉宗公

  
  天井の 檀家の家紋 寺史語る


  「逆縁」の 一団に菩薩 ようこそと

  今日一の 結界飾りし 白い菊

  
  「武蔵野」と 二度目のお参り 菊薫る

  
  ありがたや むくろじの実を 持ち帰る

 寺よりも 地蔵で名高い 正福寺



国宝の 解説するは 博士かな



国宝の お堂に住まう 千地蔵



お寺にも バックシャンあり 大伽藍 (大島さんの一言)
       
           悪童が 前非を悔いて 寺巡り (大島さんの句)



  元弘の 兵どもの 板碑かな

  
  杖頼み とにもかくにも 三万歩

  
  てーくてく 大師の道を 三万歩

  
  丹念な 下見のお蔭さ 「はなの舞」








随 筆 “和 尚 と 神 主”
  花牟禮  通                                                            

(1) 圓乗院の和尚さん
 
 10月初めごろ、事前調査のため圓乗院を訪ねた。

 門前の石柱にある「本尊錐鑽不動明王」の碑を見て、いつか来たことのあるお寺だと思いながら、

 石碑の「錐鑽」の字をなんと読むのか中々思い出せない。

 以前良く通ったゴルフ場の途中に、金鑽神社と言う国指定重文建造物がある。

  この神社は「かなさな」と読むのだがと考えながら、鐘楼門を潜るとその一角に、ご神木ならぬ圓乗院自慢の「むくろじ」の大樹がある。
 
 寺務は専ら世襲の息子さんである。

 圓乗院の老住職さんは博学で話し好きの好々爺である。

 ちょっと耳が遠いので会話は筆談交じりの方が早い。
 
 「むくろじ」の樹齢を聞けば大和尚さんの歳まで同時に判るのも面白いが、

 
 大和尚の歳が判って二度吃驚
 
「この樹はなー 儂が子供の頃既に100年ぐらい経っていたから今儂が93歳じゃから、もう200年ぐらい経っているかのう」。
 
 仏様より裟婆の人が好きそうな、人懐っこい大和尚に、沢山の元気を頂戴した一日ではあった。

 大和尚と「本尊きりもみ不動明王」に合掌。


(2) 豊鹿嶋神社の神主さん
 
 公開日以外の、本殿公開は余り無いことのようで、神職さんより電話で、「私が不在の為、今回は娘をさし向けるのでどうぞ」との、お許しが得られたのは幸いであった。
 
 ご案内頂くのは神職さんのお嬢さんである。

 有資格者と言われていたが女の神職さんも神主さんと呼ぶのだろうか、お寺さんならさしずめ尼さんと言うところだが。
 
 当日お見えになったのは、竹箒持参のお爺さんと、娘ことお爺さんの孫娘であった。
 

 察するに、この一家は親子三代の神職さんと言うことになる。石段を登り、鳥居を潜った先に在る、注連縄(しめなわ)を張った大小二本の杉の木が「ご神木」とわかる。

 その回りは箒目もあざやかに掃き清められていた。この老神職の勤勉さが伺える。

 今日は多数の参拝者を案内する孫娘さんを案じての再登場であろうか? 老神職の孫娘を見る目はとても優しく、お爺ちゃんそのものであった。
 
 振返って見ると大小二本のご神木が、恰もお爺さんとお孫さんの姿かのように、重なって見えた。

あとがき:「むくろじ」は漢名で「無患子」と書く。圓乗院の「むくろじ」は目通り径1メートル、樹高(推定)18メートル。果実の黒い種子は羽根つきの羽根の珠に使い果皮は昔石鹸の代用になった由。
                                         以 上                                     





「コラム」 “道 草 礼 賛” 

飯 沼  富 夫


 多摩88ヶ所巡りも今回で第8回を迎えたが、秩父、坂東、武蔵野と異なり、霊場巡りの行
程における名所、旧蹟を訪れるという道草が定着してきたことは喜ばしいことである。

 今回の行程においては、幹事のご努力で、豊鹿嶋神社本殿、正福寺地蔵堂、徳蔵寺板
碑保存館など以下記述の通り、貴重な建物や板碑を見学することが出来た。


(1)豊鹿嶋神社本殿
 
 
 現在の豊鹿嶋神社本殿は、文正元年(1466年)の建立であり、都内に現存する最古に
して唯一の室町時代建立になる神社本殿遺構である。

 その文化的価値は高く、さらに5枚の棟札によって創建、修理の年代が確定される点でも貴重な遺構である。


 昭和39年に本殿は東京都指定有形文化財に指定されているが、その指定理由としては「様式、手法、用材等中世の様式を保ち、棟札によって建築年代がうかがわれ、関東建築史の一資料と考える」とある。
 

(2)正福寺地蔵堂
 
 正福寺は弘安元年(1278年)に開創され、禅・臨済宗で本堂に千手千眼観世音菩薩を
安置して本尊と仰ぎ、仏殿(国宝千体地蔵堂)に千体地蔵尊を守護する。

      「番外」 正 福 寺 本 堂
 「番外」 国 宝 千 体 地 蔵 堂

 千体地蔵堂は東京都唯一の国宝建築物であり、建物は禅宗様仏殿の典型で、鎌倉の
円覚寺舎利殿と細部にいたるまで良く似ているという。本堂は応安・寛文の火災で焼失す
るも、地蔵堂は火災を免れ、数度の営繕補修を加え現在に至っている。
 
 本堂の特徴は、白木造りで、華麗な色彩、花鳥等の彫刻がなく、土壁なく板壁になって
おり、質素の中に堅牢さがあり、上層、屋根のそりは優雅である。御開扉の日は、8月8
日、9月24日で、11時から15時まで自由に拝観できる。


(3)徳蔵寺板碑保存館
 
 徳蔵寺は臨済宗(禅寺)大徳寺派に属し、開山年は元和(1615〜1623)の頃と思われる
が詳細は不明、江戸末期には赤坂の種徳寺末であった。

                                   「番外」  福 寿 山 徳 蔵 寺 本 堂
境内からは、中世の文化財である板碑も発掘され、この地は開山年以
前から歴史的に重要な位置にあった事が考えられる。
 
 この寺に保管されていた板碑、石器、土器等を保存するため、昭和43年に
鉄筋、校倉(あぜくら)造り、2階建の保存館が完成した。数ある板碑の中で
も、国指定重要文化財である「元弘の板碑」は戦史を実証している板碑とし
ても有名である。

 
 以上は、重要な道草の概略説明であるが、今回の多摩巡りの特筆すべき点は下記のと
おりである。

(1)幹事小山、花牟礼両氏の綿密な事前調査によって、3万歩を上回る難しい道程が正
確に把握されており、道を迷わず予定時刻に懇親会場に到着できたことに敬服している。
 
 聞く所によると、下見は4〜5回に亘り、前日も一部道路確認をされたようである。当日
配布された行程表、地図など立派であり、両幹事のご努力が滲み出ている。 

「番外」 狭山不動尊山号額
     「番外」 狭山山 不動寺

(2)花牟礼幹事は、その専門的知識に加えて、事前の徹底的調査研究をされ、豊鹿嶋神
社本殿や正福寺地蔵堂、徳蔵寺板碑保存館の説明は素晴らしい内容であった。深甚の
謝意を表したい。

(3)道草の主要なものを3箇所挙げたが、この外多摩湖堰堤散策、西武ドーム見学、山
口観音金乗院、狭山不動の参詣など楽しい道草が沢山あり、極めて贅沢な道草を堪能出
来た。道草万歳である。次回以降の道草の楽しい企画を大いに期待したい。 







平成15年多摩88ヶ所巡り

 忘年会開催後記    高嶋順司


 DDD及びDAA所属の、既に昨年札所巡りを果たした武蔵野組と秩父総開帳組を中心
に、今年3月より11月にかけて、多摩88ヶ所第一番札所安養寺〔武蔵野市吉祥寺〕から
第四十二番札所真福寺(武蔵村山市中藤)まで、毎月一度都合8回(8月休み)に亘り行
脚を続けて参りました。

 
 その間、その地域に所在する名所、旧跡、公園等を含め多くの多摩地区に拡がる貴重な文化財も見学し大変有意義な旅であったと存じます。

 これを企画された青野、榎本両総合幹事、又1回から8回まで夫々の巡礼コースをご担当頂いた世話役の皆様方に深く感謝の意を表する次第です。

 札所巡りの丁度中間点で、平成15年度当会の忘年会を開催するに当たり嶋、藤井、辻の電線組3名が敢えて幹事を引き受けさせて頂き、東京駅前、新築丸ビル5階「精養軒茶房」にて、12月2日(火)17:00より総勢28名の沢山

 の方々がご参集下さり、賑々しく、店貸切りで「飲み放題」の誠に楽しい忘年会になりました。
 
 残念ながら当会企画の元締め、青野さんが、ご不幸があり急遽広島に赴かれた由にて、

 代わって特に何時もご丁寧なご案内を頂く、榎本さんに開会のご挨拶をお願い致しました。
 続いて、長老巌さんの力強い元気な乾杯のご発声で一斉に盃を乾し、忘年会の開幕となりました。

 巌先輩からも「この札所巡りを企画された青野、榎本両氏はもとより、

 1回から8回まで、夫々のコースを丹念に調査され、下見を怠らず、皆さんを案内された当番幹事さんの頭の下がるご努力に、感謝せねばなりません」のご発言に、全員拍手をもってお応え致しました。


 あまりお酒が廻らない前にと、榎本さんのご提案で、来年初めから開始される第四十三番薬王寺からの青梅地区の札所巡りについて、

 このコースのリーダーを務める児玉,小田、斉田の商事3人組+そのマスコットガール大田さんのグループから、バス利用を計画に入れた、幹事案を含めて3案の提示があり、近日中に、これを全員の投票によって、本スケジュールを決定するということになりました。 
 また、出来上がったばかりの平成14年実施の秩父總開帳CD完成披露もあり、これで事前の報告事項は終了し、いよいよ心行くまでの酒盛りとなりました。
 
 当店店主、高橋一行君は幹事役嶋の学友〔悪友〕であり、今日は店挙げての歓待を約束してくれており、本人も皆さんの前で来店御礼の挨拶がありました。
 

 中座して記念写真を撮る時間を頂きましたが、引き続き盛り上がった宴会は文字通り今年の疲れを吹き飛ばし、
 
 新しい年に始まる札所巡りの力強い門出に相応しい、和気藹々とした団結の集いとなりました。

 20時近くなる頃、幹事嶋の発声で行脚の安泰と参加者全員のご健勝を祈念し、3本締めで解散と致しました。

 尚、来年の忘年会は、三菱フィナンシャルグループの飯沼富夫殿幹事で盛大な開催が決定しております。ご期待下さい。



 *高嶋順司氏作成になる当「開催後記」は、辻が投稿手続きをしました。       
 
 










第8回「トピック“新 春 再 訪”花牟禮 通 

                  
                   <まえがき>

 西武球場前の狭山山不動寺に、恒例の初参りの為、千葉在住の小学校6年男子の「孫」
が、元日の午後、泊り込みでやってきた。
 
 今年のお参りは例年と趣向を変え、昨年11月にDAA有志でお参りした、第8回「多摩札所
巡り」の勝手知ったるルートをなぞって見ようと考えた。


                  <都市多摩モノレール>
 
 
 西武池袋線〜西武新宿線と乗り継ぎ、更に西武拝島線玉川上水駅でモノレールに乗り換えて上北台駅へ。

 子供との会話は屈託がない、寒風の中でも話は弾む。

 「地上を走る電車はレール2本なのに、ここはどうしてモノレールなんだろう?」 「レール1本の方が建設費が
 廉いのかな?」 「飛行機を見てご覧、レールなんて1本も無いじゃないか」

 「なるほど分った、地上から遠く離れるほどレールは少なくなり、遂にはレール不要って事だね」 「世はロケットの時代…」「…?」。

 都市多摩モノレールは延長16km、駅数19。

 桜街道駅付近の左前方に広がる丹沢、奥多摩山系のパノラマは、冬空に映えて鮮やかであった。

 上北台駅北側遥か前方には、西武ドームの屋根が、森の中に白くぽっかり浮かんで見えた。

    
   右の写真は、上北台駅付近から見える「富士山」

          
          
          <蓮花寺、慶性寺そして豊鹿嶋神社>
 
 モノレール駅から豊鹿嶋神社方面に向かう。道筋にある、第40番蓮華寺の門前に佇み拝
礼。第41番慶性院には、植物にも造詣の深い權藤さんに教えて貰った「菩提樹」がある。葉
の裏から柄が出て花や実をつけるとは、摩訶不思議な木である。花が咲く頃に、是非又訪
ねて見ようと思う、夏の到来が待たれる。

慶 性 院 と 菩 提 樹
菩 提 樹 の 実
 
 まもなく、豊鹿嶋神社に到着。参道の真正面左右に真新しい注連縄のご神木が現れる。

 昨年11月の参拝のときにご案内頂いた老神主と孫娘二人の神主さんの姿に、このご神木
が重なって見えたことが思い出された。今日も参道は綺麗に箒目が入っていた。
 
神殿で、二礼二拍手一礼が神式作法とか、神社は都内最古の神社本殿造りで有名だとか、子供向けにおもしろ可笑しく説明していたら、おそらく聞こえていたのであろう、拝殿の中から突然神職さんが笑顔で現れた。

 以前本殿の拝観を、電話でお願いした時に快くお聞き入れ頂いた時の神主さんであった

 初めてお会いするのに、懐かしさを感じる。

 当時の礼を申し述べ、「孫」の学業お守りを頂戴してお暇した。昨年暮れから親子三代の
神職さんにお会い出来たことで、今年は何かきっと良い事があるに違いない…。


 <多摩湖畔の散策>
 
 豊鹿嶋神社裏の杜を通り抜け民家横の坂道を上がって行くと、多摩湖自転車道の鹿嶋橋
に突き当たる。ここから西武ドームの方向に、坂道を暫く降って行くと多摩湖に出る。
                                    
                                      多摩湖を二分する堰堤道路
 多摩湖を東西に二分する「堰堤」は、貯水池事務所前から対岸の多摩湖自転車道の高架橋「多摩湖橋」まで約500mの長さである。

 ゴルフに例えれば550ヤード・パー5のロングホールである。堰堤周辺の枯草を踏みながら歩くと、思わずドライバーを振り回し、飛距離を試して見たくなるようなスポットでもある。
 
 この「堰堤」は多摩都市上北台駅から見て、ほぼ「真北直線上」に平行に走っているのである。更に「堰堤」の延長線上に第41番「慶性院」の山門がある。

       慶 性 寺 の 山 門
 このことは偶々、上北台駅と鹿島橋付近から夫々、西武ドームの方角を、太陽の位置から割り出していて気付いたもので、都市地図と照合し判ったものである。

 「堰堤」の延長線上にある「慶性院」の山門は、大正末期に本殿を東大和市芋窪に移転した際に山門だけ現在地に取り残したものの由。

 おそらく移転費用など経済的な問題で…と思われるが、「慶性院」にとってはこの分散設置
の方が宣伝性も高く、得策だった事に変わりはあるまい。
                                   多摩湖と歩行者用ベンチ
 午後から風も止み、冬とは思えない温暖な気候に変わる。
 
 「堰堤」の裾にあるベンチで太陽と方位の判断方法について、例の如く「孫」との漫談が始まる。
 
 「太陽が顔を出してない時はどうする?」 「住宅は南向に建てられているものが多いので、これを参考にする」

 「富士山のように遠くの目標物がどの方向
 
にあるかを、かねてより学習しておく」「天気予報に関心を持つこと」 「動物のように野生的
な感を養う」…話すこともだんだん乱暴になってきた。

 南方系と思われる外国人の青年数人が「カメラのシャッターをお願い」と寄って来た。イン
ドネシアからの出稼ぎの若者達で、出身はジャカルタ、バリ島などとのこと。イスラム教徒が
多いが、本国でも1月1日は New Yearの祝日だとか。
 
 彼等は、森に囲まれた美しい多摩湖の長閑な風景に、故郷の原風景を思い重ねているの
だそうである。熱帯性気候の国から来た彼等には、日本の冬の寒さは相当に応えるらしい。
それでも、ここには良く来るのだそうである。手持のチョコレートパイを分かちながら食べた。
平和で長閑な午後のひとときではあった。
 
                     
                     <達磨と甘酒>
 
 「孫」が4歳の頃からであろうか。狭山山不動寺の初参りに来て達磨を買い、甘酒を頂くの
がお決まりの行事になった。 ここで達磨を購入すると、お店の人が願い事を聞いて、拍子
木を打ち鳴らし「三三六拍子」の所作で賑やかに、願いを込めてくれるのである。
 
    勅額門前の左右が門前市場となる
 達磨の大きさや値段もピンからキリで、多種多様なのには驚く。

 「孫」に買い与えるのは1000円弱のものが多い。最近は孫も成長し思慮分別もでてきたので、その選択は自主選択にしている。
 自主選択制にすると、如何に生意気な坊主でも金を出す人に遠慮して高価な物を選ばないのである。
 
 今年はどれを選ぶかと興味深く見ていたら、なんと一番小さくて一番値段の安いものを手にしたのには驚いた。 

 もう少し大きい物をと奨めたがこれで良いとのこと、金を出すほうは内面にんまりだが…。
 
 こんなに安い買い物では、お店の「拍子木」のサービスは無いものと思っていたが、さにあ
らず「英検2級合格を…」と始まったのである。お店の人が3人と、当方は「孫」と「爺」の計5
人。
 ふと隣りの店を見ると万円級の達磨で、当方とほぼ同時に「拍子木」が始まるではない
か。しかも、「拍子木」を持つのは当方より1人少ない4人。
 
 当方の達磨は200円也。万円クラスも百円クラスも「三三六拍子」の3本締めの所作が同じと
は可笑しかった。周囲ギャラリーの拍手と歓声が面映く小さな達磨が一段といとおしくおもえ
た。「孫」曰く、「これからトトロの森に行くから、小さいのが手軽で一番」と平気なもの。

 「爺」曰く、「英検1級を合格したらトラックを持って買いに来るさ…」。

 「孫」が、4歳のとき娘夫婦の転勤でロンドンに移住した。未だ日本語も碌に話せない幼児が、英語圏の国で4年間を過ごし、日本へ帰ってきた。

 そして又、正月恒例の行事は始まった。

 甘酒は、幼児期に体験して覚えている日本の味の一つとか。ふざけて「甘酒ちゃんプリーズ」などとやると、お店のおばちゃんも思わずにっこり。  
                




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