第8回「多摩巡り記録と紀行」 | 小山 義則 | ||
第8回 “ 紀 行 句 ” | 金田 和友 | ||
随 筆 「和 尚 と 神 主」 | 花牟禮 通 | ||
コラム “ 道 草 礼 賛 ” | 飯沼 富夫 | ||
平成15年 多摩巡り 忘 年 会 | 高嶋 順司 | ||
トピック “ 新 春 再 訪 ” | 花牟禮 通 |
多摩40番「石澤山蓮華寺」 | 多摩41番「白部山慶性院」 | ||
多摩42番「龍華山真福寺」 | 番 外 「 豊 鹿 嶋 神 社 」 | ||
道草 “多摩湖〜狭山不動” | 多摩39番「輪王山三光院」 | ||
多摩33番「愛宕山圓乗院」 | 番 外 「 正福寺 地蔵堂 」 | ||
番外“ 徳 蔵 寺” |
開催日: 平成15年11月4日(火曜日) 天 候: 曇 北風稍々強
集 合:多摩モノレール「上北台駅」 9:00 時
参加者: (五十音順・敬称略)
阿南恵三郎、飯沼富夫、井出昭一、井上親朋、巌隆吉、榎本奎介、大島政美、
太田喜代子、小田嘉一郎、金田和友、金田三千江、児玉俊男、小山義則、
近藤達男、権藤卓也、斉田旭男、助川 泉、高嶋純司、高原清ニ、花牟礼通、
深沢龍一、藤井俊男、細田利三松岡明、松沢寿俊、松本喜一 以上26名
行 程 :
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前夜までの雨で気掛かりであった天候も夜明けとともに雲は切れ、やや北風は強いが巡
拝には絶好の日和である。 集合地の「上北台駅」は、都下立川市と東大和市を結ぶ「多摩モノレール」の東大和市側
の終着駅に当たり、立川からは北に向かうわけだが、途中、車窓西側には遠く丹沢山塊の 山並を望み、前方には「トトロの森」でも有名な狭山丘陵の緑を楽しむことができる。 駅周辺のまだ整備の余地が残されている「上北台駅」を定刻5分過ぎに出発。
多摩第40番石澤山蓮華寺本堂
最初に参拝した蓮華寺とは隣り合わせのような至近距離に在る。当寺も現在の多摩湖畔
から大正11年に移転し現在地にあるが、移転時に田舎屋風の大きな山門の置き場が無 く、今は多摩湖橋の北詰に移設してある。 多摩第41番白部山慶性院内陣
慶性院を出ると、この地区特有の未整備からくる狭い道を北へ進む。途中右手の畑には
珍らしくリンゴ畑や、この時期には遅いカボチャ?畑等を見ながら行くと突然狭山丘陵の麓 を走る青梅街道に出る。街道を横断し坂道をのぼれば丘陵の山上近くに町を見下ろす様 に南面した山門がある。 第42番「真福寺」重層入母屋造りの山門(恵)
<道草その1>
「第39番 輪王山三光院」
西武球場前をあとに、長閑に感じる西武レオライナーと電車とを利用し大和武蔵駅へ。
多摩第39番輪王山三光院本堂へ
多摩 第38番 愛宕山圓乗院
<道草その2>
かくて本日予定の古寺巡拝は終わったが、釣瓶落しの晩秋の太陽と、変わり易い空模様
を気にしながら次の道草、国宝「正福寺地蔵堂」見学と、徳蔵寺板碑資料館見学の為、バ スで移動。 国宝「正福寺地蔵堂」 徳蔵寺資料館の板碑
国宝見学中ポツリと雨の兆しがあったが左程でも無くその建築様式に感心し、漸く明るい
内に見学を終え、徳蔵寺資料館に着いた頃は早や夕景。 同寺の裏からの景観に驚き、資料館では板碑により元弘年間の鎌倉攻めを偲び、愈々
夕暮れのなかを東村山駅前の本日最終予定宴会場所「花の舞」に着いたきには、日は既 にとっぷりと闇の中であった。 |
多摩88ヶ所巡りも今回で第8回を迎えたが、秩父、坂東、武蔵野と異なり、霊場巡りの行
程における名所、旧蹟を訪れるという道草が定着してきたことは喜ばしいことである。 今回の行程においては、幹事のご努力で、豊鹿嶋神社本殿、正福寺地蔵堂、徳蔵寺板
碑保存館など以下記述の通り、貴重な建物や板碑を見学することが出来た。 現在の豊鹿嶋神社本殿は、文正元年(1466年)の建立であり、都内に現存する最古に
して唯一の室町時代建立になる神社本殿遺構である。
正福寺は弘安元年(1278年)に開創され、禅・臨済宗で本堂に千手千眼観世音菩薩を
安置して本尊と仰ぎ、仏殿(国宝千体地蔵堂)に千体地蔵尊を守護する。
千体地蔵堂は東京都唯一の国宝建築物であり、建物は禅宗様仏殿の典型で、鎌倉の
円覚寺舎利殿と細部にいたるまで良く似ているという。本堂は応安・寛文の火災で焼失す るも、地蔵堂は火災を免れ、数度の営繕補修を加え現在に至っている。 本堂の特徴は、白木造りで、華麗な色彩、花鳥等の彫刻がなく、土壁なく板壁になって
おり、質素の中に堅牢さがあり、上層、屋根のそりは優雅である。御開扉の日は、8月8 日、9月24日で、11時から15時まで自由に拝観できる。 徳蔵寺は臨済宗(禅寺)大徳寺派に属し、開山年は元和(1615〜1623)の頃と思われる
が詳細は不明、江戸末期には赤坂の種徳寺末であった。 「番外」 福 寿 山 徳 蔵 寺 本 堂
以上は、重要な道草の概略説明であるが、今回の多摩巡りの特筆すべき点は下記のと
おりである。 (1)幹事小山、花牟礼両氏の綿密な事前調査によって、3万歩を上回る難しい道程が正
確に把握されており、道を迷わず予定時刻に懇親会場に到着できたことに敬服している。 聞く所によると、下見は4〜5回に亘り、前日も一部道路確認をされたようである。当日
配布された行程表、地図など立派であり、両幹事のご努力が滲み出ている。
(2)花牟礼幹事は、その専門的知識に加えて、事前の徹底的調査研究をされ、豊鹿嶋神
社本殿や正福寺地蔵堂、徳蔵寺板碑保存館の説明は素晴らしい内容であった。深甚の 謝意を表したい。 (3)道草の主要なものを3箇所挙げたが、この外多摩湖堰堤散策、西武ドーム見学、山
口観音金乗院、狭山不動の参詣など楽しい道草が沢山あり、極めて贅沢な道草を堪能出 来た。道草万歳である。次回以降の道草の楽しい企画を大いに期待したい。 |
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<まえがき>
西武球場前の狭山山不動寺に、恒例の初参りの為、千葉在住の小学校6年男子の「孫」
が、元日の午後、泊り込みでやってきた。 今年のお参りは例年と趣向を変え、昨年11月にDAA有志でお参りした、第8回「多摩札所
巡り」の勝手知ったるルートをなぞって見ようと考えた。 <都市多摩モノレール>
<蓮花寺、慶性寺そして豊鹿嶋神社>
モノレール駅から豊鹿嶋神社方面に向かう。道筋にある、第40番蓮華寺の門前に佇み拝
礼。第41番慶性院には、植物にも造詣の深い權藤さんに教えて貰った「菩提樹」がある。葉 の裏から柄が出て花や実をつけるとは、摩訶不思議な木である。花が咲く頃に、是非又訪 ねて見ようと思う、夏の到来が待たれる。
まもなく、豊鹿嶋神社に到着。参道の真正面左右に真新しい注連縄のご神木が現れる。
昨年11月の参拝のときにご案内頂いた老神主と孫娘二人の神主さんの姿に、このご神木
が重なって見えたことが思い出された。今日も参道は綺麗に箒目が入っていた。
当時の礼を申し述べ、「孫」の学業お守りを頂戴してお暇した。昨年暮れから親子三代の 神職さんにお会い出来たことで、今年は何かきっと良い事があるに違いない…。 豊鹿嶋神社裏の杜を通り抜け民家横の坂道を上がって行くと、多摩湖自転車道の鹿嶋橋
に突き当たる。ここから西武ドームの方向に、坂道を暫く降って行くと多摩湖に出る。 多摩湖を二分する堰堤道路
おそらく移転費用など経済的な問題で…と思われるが、「慶性院」にとってはこの分散設置
の方が宣伝性も高く、得策だった事に変わりはあるまい。 多摩湖と歩行者用ベンチ
にあるかを、かねてより学習しておく」「天気予報に関心を持つこと」 「動物のように野生的
な感を養う」…話すこともだんだん乱暴になってきた。 南方系と思われる外国人の青年数人が「カメラのシャッターをお願い」と寄って来た。イン
ドネシアからの出稼ぎの若者達で、出身はジャカルタ、バリ島などとのこと。イスラム教徒が 多いが、本国でも1月1日は New Yearの祝日だとか。 彼等は、森に囲まれた美しい多摩湖の長閑な風景に、故郷の原風景を思い重ねているの
だそうである。熱帯性気候の国から来た彼等には、日本の冬の寒さは相当に応えるらしい。 それでも、ここには良く来るのだそうである。手持のチョコレートパイを分かちながら食べた。 平和で長閑な午後のひとときではあった。 <達磨と甘酒>
「孫」が4歳の頃からであろうか。狭山山不動寺の初参りに来て達磨を買い、甘酒を頂くの
がお決まりの行事になった。 ここで達磨を購入すると、お店の人が願い事を聞いて、拍子 木を打ち鳴らし「三三六拍子」の所作で賑やかに、願いを込めてくれるのである。 勅額門前の左右が門前市場となる
もう少し大きい物をと奨めたがこれで良いとのこと、金を出すほうは内面にんまりだが…。
こんなに安い買い物では、お店の「拍子木」のサービスは無いものと思っていたが、さにあ
らず「英検2級合格を…」と始まったのである。お店の人が3人と、当方は「孫」と「爺」の計5 人。 ふと隣りの店を見ると万円級の達磨で、当方とほぼ同時に「拍子木」が始まるではない
か。しかも、「拍子木」を持つのは当方より1人少ない4人。 当方の達磨は200円也。万円クラスも百円クラスも「三三六拍子」の3本締めの所作が同じと
は可笑しかった。周囲ギャラリーの拍手と歓声が面映く小さな達磨が一段といとおしくおもえ た。「孫」曰く、「これからトトロの森に行くから、小さいのが手軽で一番」と平気なもの。 「爺」曰く、「英検1級を合格したらトラックを持って買いに来るさ…」。
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