・・・My Museum Walk・・・『わたしの美術館散策』
井出 昭一
2008.10.03 …My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(24) 井出 昭一 埼玉県立近代美術館 …ユニークな 椅子のコレクション …
今回は、北浦和にある埼玉県立近代美術館を取り上げます。この美術館は、川口市の大熊家から近代日本画 47 点の寄贈を受けましたが、その中に横山大観の未公開作品 10 点が含まれていて、新聞・テレビでも紹介され話題となった美術館です。[写真1]
1.JRの駅から3分の美術館 「MoMA(モマ)」という愛称で親しまれているのはニューヨーク近代美術館 ( The Museum of Modern Art, New York ) ですが、埼玉県立近代美術館( The Museum of Modern Art, Saitama )は、これと似た名前で「MOMAS(モマス)」と呼ばれ、 旧制浦和高校の跡地にできた 北浦和公園の緑の中に昭和 57 年( 1982 年) 11 月 3 日に誕生しました。つい最近開館したとばかり思っていたのですが既に四半世紀も過ぎています。[写真 2 ] JR京浜東北線の北浦和駅西口から徒歩 3 分という至近距離で、新宿駅からは埼京線の赤羽駅で乗り換えて京浜東北線の北浦和駅下車しても乗車時間は 33 分、 東京駅から京浜東北線(快速)では北浦和駅まで 39 分と、都心からでも時間がかからず交通の便利な美術館です。蕨のわたしの家からは 30 分以内で行ける最も近い美術館です。
2.建物は 黒川紀章が設計 美術館の建物は黒川紀章が設計しています。 [写真 3 ・ 4 ] 黒川紀章は国内では名古屋市美術館( 1988 年)、広島市現代美術館( 1989 年)、和歌山県立近代美術館( 1994 年)、国立新美術館( 2006 年)などのように多くの美術館建築を手がけましたが、 埼玉県立近代美術館は初期の作品で、一見すると 名古屋市美術館と似た建物です。 立方体を積み重ねた形がこの美術館の特徴で、 建物は地上3階、地下1階建ての構造です。樹木の多い周囲の環境と調和を図るよう建物の高さを抑えていますが、 常設展示室は天井が高く、広くて感じ良い空間です。 センターホールは各階を貫く吹抜空間となっていて天井から自然光を採り入れて明るく、地下1階の3壁面には彫刻を配置し、他の1面に有名デザイナーの椅子を置いて、ゆっくりと彫刻を鑑賞できるユニークな空間となっています。 [写真 5 ・ 6 ・ 7 ・ 8 ] 3.美術館の内外に彫刻が展示 埼玉県立近代美術館は、 モネ、シャガール、ピカソなどの海外の巨匠から日本の現代作家まで美術作品を収蔵し、コレクションの数は決して多くありませんが,これまでユニークなテーマを設けた企画展を次々に開催して評価を高めています。 2008 年度から「常設展」という呼称をやめて「MOMASコレクション」と改め、収蔵品を順次紹介しています。 この美術館の特徴の一つは、美術館の内外に近代・現代彫刻作品がさりげなく置かれていることです。公園に入って美術館の建物に向か通路の中央にエミリオ・グレコの長身ですらりとした女性「ゆあみ(大)No.7」が来館者を迎えてくれます。さらに進むと風船のようにふくよかな女性が横たわっていますが、これは豊満の女性ばかりをテーマに数多くに作品を残したフェルナンド・ボテロの作品「横たわる人物」です。[写真 9 ・ 10 ] 美術館の屋外には随所に現代彫刻が置かれていますが、びっくりするのは2階から3階へ通じる階段室に四角の巨大なコンクリートの柱のようなものが外部から斜めにガラスを突き破ってきていることです。初めて対面したときには、どうしてこのような建物を造ったのかと疑問に思いましたが、これが田中米吉の彫刻作品だと知って納得(?)した次第です。[写真 11 ・ 12 ] 4.椅子の美術館”として定評 また、この美術館は “椅子の美術館”としても知られてきています。東京国 立博物館の法隆寺宝物は設計者の谷口吉生により世界的デザイナーの椅子が各所に指定され配置されていますが、ここでも 世界的に優れたデザイナーの椅子69脚を収蔵し、展示替えにあわせて 館内随所に配置し、これらの椅子には来館者が自由に座ることができます。 目についた椅子を挙げてみますと、1階のエントランスホールのコーナーにマルセル・ブロイヤーのスチールパイプと皮を使った椅子とミース・ファン・デル・ローエ(ドイツ)のバルセロナ・スツールが置かれています。 [写真 13 ] 地下1階のセンターホールにもミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・スツールが4脚置かれています。3階のエレベーターホールには、ヴァルナー・パントン(デンマーク)とヘーリット・トーマス・リートフェルト(オランダ)のレッド&ブルーの椅子がエミリオ・グレコの大きなエッチング「別れNo.16 」の両脇に置かれています。 [写真 14 ] このほかチャールズ・イームズとレイ・イームズ夫妻、 チャールズ・レニー・ マッキントッシュ(イギリス)、ル・コルビュジェ(フランス)、アルヴァ・アアルト(フィンランド)などの外国デザイナー・建築家の設計による椅子、日本人としては松村勝男、柳宗理などの作品も所蔵されています。
5.アーツ・アンド・クラフツ展が開催中 埼玉県立近代美術館では、 9 月 13 日 ( 土 ) から 11 月 3 日 ( 月・祝 ) まで企画展「 アーツ・アンド・クラフツ〈イギリス・アメリカ〉展 …ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで…」 が開かれています。 会場には、草木や鳥や小動物をデザイン化した様々な壁紙をはじめ、”椅子の美術館”にふさわしいチャールズ・レニー・マッキントッシュの有名なベッドルームの椅子(ヒルハウス)や帝国ホテルを設計したアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの椅子など、モリスの影響をうけたデザインの数々が展示されていて楽しむことができます。
6.来館者のため幅広い活動を展開 従来は美術館と言えば美術品の展示が主体でしたが、 埼玉県立近代美術館では 近年、来館者に美術作品を鑑賞するだけではなく、来館を契機に芸術に全般に親しんでもらうため、コンサートや企画展にちなむ講演会・ギャラリートクを開催したり、親と子で参加できるワークショップなどにも積極的に取り組んできています。また美術書とか看板の美術品のデザインをしたグッズを取り揃えたミュージアムショップも充実してきています。さらにユニークな企画としては近現代建築探検ツアーも開催し、 親しみやすく為になる美術館をめざしています。 美術館内を歩き疲れたら公園に面した明るい レストランでイタリア料理を味わいながら休憩することもできます。美術館の周辺や噴水のある「 音楽公園」には野外彫刻も数多く置かれていますのでそれらを見歩くのも楽しいことです。[写真 15 ]
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 静嘉堂の伊万里コレクションは、国内外で人気を博している金襴手のうち、国内の富裕階層向けの皿や鉢類いわゆる「型物」「献上手」と呼ばれる作品が幅広く揃っていることで有名です。これら金襴手のほか柿右衛門様式の色絵磁器を中心に、鍋島・古九谷様式の作品も併せて展示し、華麗なる伊万里焼の世界を紹介するものです。
2. 「古伊万里展…世界を魅了した和様のうつわ…」 会 期: 2008.9.30 〜 12.23 当美術館の創立者松岡清次郎が蒐集した東洋陶磁コレクションは、中国陶磁の鑑賞陶磁コレクションを中心としたものですが、館蔵の日本磁器のうちから、有田の初期色絵磁器とされる古九谷様式を初め、ヨーロッパ向けの輸出磁器である柿右衛門様式や金襴手様式の古伊万里およそ 50 件余りが展示されます。
3. 「森川如春庵の世界…茶人のまなざし…」 愛知県一宮の素封家森川勘一郎(後の如春庵)は天性優れた審美眼の持ち主で、 16 歳の時に本阿弥光悦の黒楽茶碗「時雨」を入手し、さらに 19 歳にして平瀬家の売り立てで同じく光悦作の赤楽茶碗「乙御前」を買い求めたという逸話の持ち主でもあり、「佐竹本三十六歌仙絵巻」の切断や「紫式部日記絵詞」の発見など多くのエピソードも残されています。
4. 「大琳派展…継承と変奏…尾形光琳生誕 350 周年記念」 会 期: 2008.10.7 〜 11.16 今年は尾形光琳が生まれて 350 年目にあたります。光琳は、斬新な装飾芸術を完成させ、「琳派」という絵画・工芸の一派を大成させました。琳派は、代々受け継がれる世襲の画派ではなく、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に私淑し、その光琳を、酒井抱一らが慕うという特殊な形で継承されてきました。この展覧会では、琳派を代表する光悦・宗達・光琳・乾山・抱一・其一の 6 人の優品により琳派芸術を展望し、併せて絵画、書跡、工芸など、各分野の名品により、琳派の系譜を具体的にたどるものです。 以上
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2008.08.28 …My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(23) 井出 昭一 三井記念美術館 …長年にわたる三井家一族のコレクション…
1.重要文化財の建物にある美術館 三井記念美術館は、日本と東洋の優れた美術品を多数の収蔵している三井文庫別館(東京都中野区)が、三井家および三井グループに縁の深い日本橋室町に移転して、平成 17 年 10 月に開設された比較的新しい美術館です。 三井記念美術館が置かれているのは三井本館の7階です。この建物はアメリカのトローブリッジ・アンド・リヴィングストン社が設計し、昭和 4 年( 1929 年)に竣工した重厚で壮麗なもので、コリント式列柱を有する外観は明るい昼間眺めても美しく、ライトアップに浮き上がる姿も幻想的で建物自体が美術品だといえます。昭和初期に建てられた日本を代表する洋風建築としては、昭和 9 年( 1934 年)完成の明治生命館(設計:岡田信一郎)と双璧をなすもので、ともに国の重要文化財に指定されています。
美術館の入り口は三井本館ではなく、隣接の「日本橋三井タワー」のアトリウムに設けられていて、そこからエレベーターで上がります。三井文庫別館に西武新宿線の新井薬師前駅から歩いて行ったことに比べると、この三井本館のある日本橋は江戸時代からの商業の中心で、交通の便利な東京の中央に位置しているため行き易くなりました。 なお、日本橋三井タワーは平成 17 年( 2005 年) 7 月に竣工した地上 39 階建ての超高層複合ビルで、高層階にはホテルの「マンダリン オリエンタル 東京」が入っていて、日本橋界隈のランドマークとなっているビルです。
2.茶道具を中核に質量を誇るコレクション 三井記念美術館が所蔵する美術工芸品は約 3700 点、切手類が約 13 万点といわれ、このうち国宝が6点、重要文化財が 71 点、重要美術品が 4 点を数え、質量ともそろっている私立美術館です。美術工芸品は茶道具を中心に、絵画、書跡、刀剣、能面、能装束、調度品など多岐にわたっています。 私立美術館の多くは特定の1個人、例えば五島美術館は五島慶太、畠山記念館は畠山一清、根津美術館は根津嘉一郎、ブリヂストン美術館は石橋正二郎というようにひとりのコレクションで成り立っています。静嘉堂文庫美術館が岩崎彌之助と小彌太の親子、大倉集古館は大倉喜八郎と喜七郎の親子二代にわたるコレクションという例はあるものの、三井家のように一族の家の数が多いうえに各家の当主が何世代にもわたって美術品を収集し、広く文化活動を継続してきている例は他にはないでしょう。
3.三井家の数寄者たち 三井家は江戸時代から続く代表的な商家で、総領家の北家をはじめ新町家、室町家、南家など十一家で成り立ち現在まで続いています。
三井家各家の当主のなかには、自ら茶道、能、絵画などを嗜んだり、芸術文化の支援に深く関わった数寄者や文化財・美術品などの収集家を多数輩出してきています。 北家の八代三井高福(たかよし)は、自ら筆を取って日本画を描く一方、剪綵(せんさい)といわれる絹の糸や布を使った中国に起源をもつ工芸を復活させたり、表千家から皆伝を伝授された数寄者でもありました。その高福の長男高朗(たかあき)は北家十代を継ぎましたが、五男の高弘(松籟、通称:八郎次郎)は南家八代当主、六男高保(華精)は室町家十代、さらに八男の高棟(たかみね)は長兄の高朗の跡を継いで北家十代の当主となり、兄弟4人が揃って茶道にも熱心で数寄者としてもその名を残しています。 高弘(松籟)は、能筆で古筆の鑑定にも優れ、表千家十二代惺斎の筆頭門下でもありました。高保(華精)も兄の高弘(松籟)に続いて表千家に入門して小柴庵と号し、収集した茶道具は「志野茶碗 銘卯花墻(うのはながき)」、「黒楽茶碗 銘俊寛」、「赤楽茶碗 銘鵺(ぬえ) 道入作」などで最高レベルのものでした。「志野茶碗 銘卯花墻」は、光悦の「白楽茶碗 銘不二山」と並んで、日本で焼かれて国宝に指定されている二碗のうちのひとつです。 また本場の中国でも例をみないといわれる青磁茶碗の最高峰で「馬蝗絆(ばこうはん)」という名碗は、室町家十二代高大(たかひろ)が後に東京国立博物館に寄贈し、現在では館内の中国陶磁の白眉となっています。 近代における大数寄者のひとり高橋箒庵(義雄)が傾注して編纂した「大正名器鑑」は茶入 436 点、茶碗 439 点の名物が網羅的に収録されていて、 80 年近く過ぎた現在でも右に出るものがないとされるものですが、驚くことに掲載されている茶碗の1割以上の 53 点は、三井家が所持したことのある名碗だということです。所持している茶碗が1点でもこの名物図鑑に掲載されれば、数寄者として誉高いとされるのに、 50 点以上が掲載されているということは、いかに三井家の収蔵品が優品であったかという証明でもあります。 これらの中には、三井家の手を離れて他の美術館に納まっている国宝「油滴天目茶碗」(大阪市東洋陶磁美術館)、重文「大井戸茶碗 銘越後」(静嘉堂文庫美術館)、重文「赤楽茶碗 銘雪峰」(畠山記念館)などの名品も含まれていますので驚くばかりです。 三井記念美術館の収蔵品は、茶道具のひとつ茶碗を見ただけでも質量とも群を抜いていますが、特異な収蔵品は中国の碑法帖コレクションです。石碑から採った古拓本を帖仕立てにした碑法帖の収蔵品は、新町家九代高堅(たかかた)が収集したものです。それは高堅の号を冠して「聴氷閣本(ていひょうかくほん)」と呼ばれ、質の高さでは世界屈指の中国古拓本で、東京国立博物館所蔵の高島菊次郎(槐安居)コレクション、台東区立書道博物館所蔵の中村不折 ( 孔固亭 ) コレクションとともに、国内における中国善本碑帖の三大コレクションのひとつともいわれています。 絵画では、三井家と親交のあった円山・四条派の作品を数多く収蔵しています。その筆頭は円山応挙の代表作・国宝「雪松図屏風」で、また重文の「日月松鶴図屏風」や梁楷の「六祖破経図」なども広く知られているものです。 書跡では、藤原定家の国宝「熊野御幸記」、重文「古筆手鑑 たかまつ」をはじめ、墨跡、古筆切、経巻なども所蔵しています。 また、能面では北家が金剛流宗家より譲り受けた 54 面が、「旧金剛宗家伝来能面」として、一括して重要文化財に指定されています。 4.復元した国宝茶室「如庵」で茶道具を展示 また美術館の展示室内には、三井家とゆかり深い茶室「如庵」が原寸大で忠実に復元されています。如庵は、織田信長の弟・有楽齋が作った名茶室で、待庵、密庵とともに国宝茶室3席の一つです。如庵は“流転の名茶席”ともいわれ、京都の建仁寺正伝院に建てられた後、東京の麻布今井町三井邸に移され、さらに大磯の三井邸別荘の城山荘へと移築が繰り返されて、現在は名鉄犬山ホテルの有楽苑内にあります。 北家十代当主の三井高棟(たかみね)は、東京の都心での被災を恐れ、自ら陣頭指揮をして昭和 12 年( 1937 年)から 5 年の歳月と膨大の費用をかけて大磯の三井家別荘の城山荘への移築を断行されました。今井町の広大な三井邸は昭和 20 年の空襲ですべて焼失しましたが、城山荘内の如庵は無事戦火を逃れ、高棟の英断が功を奏したわけです。 昭和 3 年 4 月催された麻布今井町三井邸内の如庵の茶室披きの際に、手前畳に端然と正座している高棟の写真が展示室の如庵の横に掲げられています。この展示室としての如庵には、季節に合わせて茶道具の取り合わせが並べられ、あたかも如庵茶会に参加しているような感じにさせてくれます。
5.…エピローグ…三井家の展覧会の思い出 思い起こしてみますと、中野区上高田の三井文庫別館には何度も通いました。西武新宿線の「新井薬師前」駅を降りて、商店街を通り住宅街を数分歩くと目立たない三井文庫別館に着きました。地上1階、半地下1階の建物は、住宅地のため高さ制限があって低く抑えられていたようです。展示室も1室のみで決して広くはありませんでしたが、展示品は“超”一級品ばかりでした。 平成 5 年( 1993 年)秋季展は「茶道具名品展…室町家旧蔵…」が開催され、室町家の十二代当主の姿子(しなこ)氏から寄贈を受けた 300 点の美術品のうちから 80 数点が展示されました。国宝「志野茶碗 銘卯花墻」、重文「黒楽茶碗 銘俊寛」、「赤楽茶碗 銘鵺 道入作」などが並んで壮観そのもので、感激のあまり再度訪問したほどでした。 それから2年後の平成 7 年( 1995 年)の秋季展は「館蔵・三井家の名碗 30 撰…別館開館 10 周年記念展…」が開かれ、ここでは北家と室町家の両家からの各 13 点と新町家の 4 点の唐物(鸞天目など)、高麗(三好粉引など)、和物茶碗(光悦の雨雲、など)、 30 碗の名品が所狭しと展示室に勢揃いして、これまた見ごたえのある名碗展でした。 その後、平成 14 年( 2002 年)年末から正月にかけて「三井文庫創立百年記念…三井文庫名品展」が、日本橋の三越本店で開催され、ここでは茶道具、絵画、書跡のほか世界屈指の拓本コレクションの「聴氷閣本」、経営史料も展示され、多岐にわたる三井家のコレクションの全貌を概観することができました。 平成 17 年( 2005 年)秋には日本橋室町に移転し、三井記念美術館として開館記念の特別展「美の伝統…三井家伝世の名宝…」(前期・後期に分けて開催)では、以前、三井銀行の役員食堂に使われていたという落ち着いた内装の三井本館内の展示室で、再び「卯花墻」や「俊寛」に加えて、粉引茶碗の最高峰といわれる「三好粉引」にも巡り合うことができました。照度を落として暗い展示室に三井家の誇る茶碗がスポットライトを浴びて並ぶ姿は、三井文庫別館で拝見した時とは全く異なり格別な雰囲気でした。格式の高い美術品は、やはり相応の格式ある展示室で見るべきものでしょうか。 三井記念美術館の今秋の特別展は「茶人のまなざし…森川如春庵の世界… < 益田鈍翁が愛した名古屋の茶人 > 」( 2008.10.4 〜 11.30 )が開催される予定で、現在私が最も待ち焦がれている展覧会です。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.「悲母観音への軌跡…東京藝術大学の所蔵品を中心に…」 狩野芳崖は、明治初期に日本画の改革に取り組み近代日本画の基礎を築いた画家です。藝大が所蔵する芳崖の絶筆「悲母観音」(重文)は完成度が高く、近代日本画の嚆矢となった記念碑的作品として位置づけられ、 若い作家たちに多大な影響を与えた作品として高く評価されています。ことしは、狩野芳崖の生誕 180 年、没後 120 年にあたるため、幼少時代の作品から「悲母観音」制作に至る芳崖の画業全貌を紹介します。 なお、同美術館の 展示室 3 ( 3 階の展示室) では、台東区コレクション展として「日本絵画の源流…敦煌莫高窟壁画模写」も同時に開催されています( 8 月 26 日〜 9 月 23 日)。台東区は藝大の若手芸術家の育成支援を目的に、同大学院で制作された「法隆寺金堂壁画」「敦煌莫高窟壁画」の模写作品を買い上げ所蔵していますが、その中から敦煌莫高窟壁画の模写を展示するものです。
2.「建築模型の博物都市」 東京大学総合研究博物館 は、 1996 年春、最初の教育研究型ユニヴァーシティ・ ミュージアムとして本郷キャンパス内に誕生しました。東大には明治 10 年創立以来、総数 600 万点を超える各種学術標本が蓄積されていますが、そのうち、当博物館に約 300 万点の学術標本が収蔵されています。
オープンラボのテーマとして「建築」をとりあげ、建築模型を大きく3種に分けて展示し、多様な建築の形式を俯瞰的に一覧できます。ルーヴル美術館以降の近現代ミュージアムの模型、古典から現代に至る内外の有名建築の模型、未来志向の提案型の 150 を越える建築模型が展示されますが、その大半は東大学生が制作したもので類例のない展示形式だといえます。
3.「村野藤吾…建築とインテリア…」 会 期: 2008.8.2 〜 10.26 村野藤吾は 1918 年早稲田大学建築学科を卒業後、渡辺節建築事務所を経て、村野建築事務所を開いて関西を拠点に活躍ました。日本建築学会賞、日本建築学会建築大賞を受賞し、建築家協会会長を務め、日本芸術院会員、 1967 年文化勲章を受章とは華やかな経歴の持ち主です。ヒューマニズムを基調とする独創性に富んだ作風を特徴とし、手がけた作品としては重要文化財に指定されている宇部市渡辺翁記念会館( 1937 年)、広島の世界平和記念聖堂( 1953 年)のほか、日本生命日比谷ビル・日生劇場( 1963 年)、旧千代田生命本社(現目黒区総合庁舎、 1966 年)などが有名で、 1984 年 93 歳で逝去されました。 この展覧会では、図面、写真、模型、家具、インテリアに加えてスケッチ帳や日記、記録写真や建築経済に関する研究資料など、村野藤吾のその活動と幅広い活動を紹介しています。 (了)
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2008年7月30日 |